富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月七日(金)冬の如き晴天。昨晩遅く『現代思想』のマイケル=ハートと長原豊の対談「『帝国』を超えて」を少し読む。ハートは当然『帝国』の著者、長原氏は法政大(経済)教授で帝国主義と植民地の問題を経済文化史的に研究している。ハート氏曰く、現代社会には二つの選択肢あり、一つは米帝、もう一つがいかなる国民国家をも中心としない世界秩序が形成された<帝国>なるもの。で、米帝は懸命にイラク攻撃などを利用して覇権に挑んでいるがハート曰くこれが成功する見込みなき理由はまず企業に利潤を、そして世界の諸政権に安定をもたらさないため。そこで世界はこの新しい<帝国>に向けて動いてゆく、と。確かに、少なくとも朝鮮戦争であるとかベトナム戦争までは企業とその覇権に追従する国家に利益が舞い込んできていた、がイラク進攻で日本の国益など0に等しく、むしろこれにより更に経済混乱、景気低迷に拍車がかかるのではないか、と懸念されている。実際、今日はバブル崩壊後の最安値更新、小泉先生は「どういう事態になっても金融危機は起こさない態勢を取っている」と宣うが、どういう事態になるかがわからないのにいったいどんな対策があるのか、つまり「無策」なのだ、唯一信奉できることは追米主義の徹底にて米国経済がこの対イラク攻撃で経済混乱に陥らなければ日本も大丈夫であろう、ということだけ。香港映画祭のチケット、インターネットで即時予約。今年も20本は観るだろう、始めて通しの通行証購う。イースターの連休も毎年この映画祭で旅行せず節約になっているようで2月の香港芸術祭から映画祭でZ嬢と二人でちょっと小旅行にいけるくらい散財している(汗)。今日こそジムに行くつもりがA氏、H氏と黄昏に銅鑼湾East Endにて一飲。早めに帰宅して資料など片づけ。
▼築地H君より読売ナヴェサダ新聞に「米軍イラク攻撃の場合国連安保理の新決議なしでも米軍行動支持と小泉先生方針方針固める」という報道あり、と。理由は「大量破壊兵器の拡散の脅威をこれ以上放置できない」のと「緊迫化する北朝鮮情勢も考慮し日米同盟を重視すべき」だから。この支持表明は武力攻撃開始直後に安全保障会議招集して決定し小泉首相が記者会見で内外に表明する予定だそうだが、それを事前報道したナヴェサダ新聞のこれは大スクープか(笑)。それにしても、国際社会で確固たる地位を占め役割を果たすことがこの盲目なる米国追従とは情けなきこと限りなし。大量破壊兵器拡散の脅威を放置できぬのなら米国に対してモノ申すべきであるし北朝鮮情勢考慮で日米同盟(同盟といへば聞えがいいが単に米帝の衛星国であろうに)重視とは。また同じ紙面にて「つまらない男」山崎正和が「米の軍事行動に正当性」との大論陣。H君曰く山崎正和といえば保守論壇では近代主義者として有象無象の右翼反動とは一線を画していたものだが、なるほど保守内部でも「親米=近代主義開明保守=とにかくアメリカ支持」派と「反米=復古主義=極右反動=アメリカいい気になんなよ」の2大潮流に分化しており、両派ともそれなりに筋は通っているとも言え、親米でも「国際協調」優先で一定の留保をつける宮沢喜一河野洋平流もありうる状況。H君の指摘にあったが問題は「極右反動の国粋主義者」のくせにアメリカ万歳の某知事、新しい歴史教科書の首謀、某新聞という売国右翼の連中であろう、と。御意。
▼某新聞といへば「迷いも葛藤もない正論を吐きつづけること」では定評ある産経新聞、本日のコラム「久保紘之の平成の考現学」珍しく苦悩が色濃くにじみ出ている、とH君より。
いま「日本の国益と国民の生命財産を守るために、断固アメリカに協力すべきだ」と声高に言い切ることに、筆者は心の奥底に黒々とわだかまる抵抗感を覚えざるを得ない。(略)ブッシュ演説で日本人なら聞き捨てにしてはならないくだりがある。(このブッシュ演説とはイラク民主化の手本が日独の戦後民主化というが、久保は日本においてそれは、マッカサー憲法による戦争の否認・マゾヒスティックな東京裁判史観・自立心の欠落した片務的な安保体制……であったとする) いま、無神経極まるブッシュ発言に何の異議も立てないで、ただ「アメリカに追随するのが日本の国益」と声高に言うのは、こうした屈辱的な戦後史との保守派のささやかな戦いの経緯さえすべて御破算にして勝者による不当な東京裁判史観を改めて唯々諾々として受け入れ「どうか北朝鮮から日本を守って下さい」と、哀願するに等しい。しかし、そうまでして「守られるべき国益」とは、一体何なのか?
著者の久保某は産経の編集特別委員にて看板記者の一人。国の威厳もかなぐり捨てて追米主義、そうまでして「守られるべき国益」とは一体何なのか?、というのは心境の吐露であろう。実はないのだ。ないからこそ愛国心だの日本の伝統だのとお題目だけ唱えなければならない。どこか可哀相な、右翼としてのアイデンティティ・クライシス。分裂と対立繰返す左翼に比べ一枚岩のように見える右翼も実は今回の米国観で明らかに攘夷と親米の乖離大。しかし、読者も少ないだろから紹介しておくと「産経抄」では「世論が正しいこともあるが、世論に従って政治をやると間違うこともある」との小泉の見解の「どこがおかしい?、大正論ではないか」と持ち上げ、美濃部、青島、田中真紀子といった世論が持ち上げたブームの結果の酷さを揶揄(そういう意味では小泉こそ世論が持ち上げたブーム「だった」のだが)、小泉が直面するイラク問題について「戦争とくれば、だれだって反対したい。しかし事態は戦争ではなく、国際テロリズムに対する武力行使であり、予防行動なのである」と正当化、「反戦デモやスローガンだけで独裁やテポドンを封ずることができるのか。できないために米国を支持する、それが大局的国益だと判断するのなら、首相は断固として世論に逆らえばいい。勇気と信念と責任を持って国民に語りかけたらいいし、語りかけるべきなのである」と。H君曰く正論勇ましいが「小泉はそれができてないから批判されてる」わけ。H君の指摘通りかつて「日本国政府東京裁判の結果を受け入れてアメリカの属国に成り下がったというのも「大局的国益」ゆえのこと」なのだから、久保のような批判は先先達の達見を卑下することにもなりかねず。