富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月五日(水)雨。気温少し下がって17度。昨日に続きレインコオト着れる嬉しさ。雨外套着たくてもこれ以上気温湿気高まると外套のなかで蒸してしまってかえって汗かくのだから。冬は雨降らぬし年に二度ほんの短い間だけ雨外套が着れる。昏時Happy Valleyの図書館。近くに来ていたZ嬢と待ち合わせ銅鑼灣、HMWでAMPの白鳥の湖のDVD探すが見当たらず。日本のAmazonでも当然の如く在庫なく米国Amazonに注文するがUS$26.97、日本価格は3,600円で日本のデフレは価格格差ほとんどなし。晩にZ嬢と北角の寿司加藤。余は殊に小鰭好むが加藤の小鰭は酢で〆すぎず新鮮な赤身と〆た外身との味のバランスかなり好し。なぜかふと天后のI君に電話せば在宅、天后の「濃情」なる、未だにジャンケンしながら勝ち負けで酒酌み交わし泥酔した客が背負われて退場するような、かなり古典的にダサい酒場でビール、ウォッカ飲む。
ノーベル化学賞受けた台湾の学者にて国民党専制解体と民進党の阿扁総統当選にかなり尽力した李遠哲氏(現在は中央研究院院長)、台湾の教育改革に当たるが、どこかの国のお題目での教育基本法改正だの愛国心だの日本人としてのアイデンティティだの伝統だのという提唱に比べ台湾の、現実的な今後の社会でどういった子どもの育成が必要なのか、台湾で教育を受けたものがどう国際的に通用するか、という現実的目標をもった改革は実行に値するもの。目下香港訪れ中文大学で教育改革について講演。
▼本日、政府予算案発表される。その、この日の朝『信報』に張敏儀女史の「獅子山下、羅文、財政予算」なる評論が大きく掲載される。張女史は香港電台(RTHK)の代表にて台湾の台独などもリベラルに報道するその姿勢が董建華政府により疎まれ香港特区政府駐東京経済貿易代表部首席代表に左遷され昨年退職した、陳安生女史と並び香港の良識を代表する英才、香港大卒業後RTHKに入り「獅子山下」などの番組制作に携わった。この獅子山下が昨年の今日、この予算案発表の折、財務司長・梁錦松によって困難な時代を共に協力して乗りきっていこう、というメッセージを託し、かつて70年代にテレビで放映され市民の共感得た「獅子山下」を挙げて、この精神を、と宣った。それから一年、その「獅子山下」の製作者であった張女史が、当時を彷彿しつつその精神の真意を述べる、まさに物事の真実を語る名文に敬服。原文の格調高さも伝えられぬが要旨は下記の如し。
昨年三月、まだ東京勤務であった頃に聞いた梁錦松司長就任後初めての予算案は「当時」信じるに充足しその梁氏の雄姿は共に苦しい時期を乗り越えていこう、と語った。そこで「獅子山下」が取上げられブームとなったのだが多くの市民は「獅子山下」のドラマを見たことはなく羅文の唄う主題歌だけ知っていた。番組は再放送され当時の香港の市井の様子に現在の市民は過去を懐古し、朱鎔基総理来港しその演説でもこの「獅子山下」の歌詞引用され、この歌がまるで香港区歌のようになった。この歌はとても歌唱が難しい歌で羅文だから唄えたのだが、その羅文が昨年癌に冒され逝去したことで「獅子山下」ブームは最高潮に達したが、実は、羅文という存在とこの獅子山下の歌を一つに括ることは、キョービの大きな誤解なのである。羅文はその妖艶が魅力であり、それがあるのはあと一人は梅艷芳(アニタムイ)だけだろうが、羅文は徹底した個人主義の先鋒であり、獅子山下の番組にキョービ託された集団精神を好まなかった。当時の「獅子山下」の番組で発せられた市民の声もそれは自己の声であり(キョービ理解されているような)集団精神ではなかった。当時を思い返せばRTHKじたいも政府の公共放送局になったばかりで製作番組は3つのみ、スタジオどころか職員の更衣室すらなく出街して屋外で番組を製作するしかなかった。当時は市民も総督が英国人という以外、政府高官の名前すら知らず、警察とて屋台の雲呑麺を啜りながら腹を見たし警邏。屋台も警官からカネを受け取らなかったが、それもただの親切心。当時はそんな、自然で寛容で素朴で、みんな「自分の」生活に何か活路見出そうと懸命で、そういった若者たちが官僚、弁護士、映画監督、専門職へとなっていった。或る若い弁護士は不法な屋台営業から屋台の店を押収しなければならなかったが、その店を押収されれば生活に窮する被告にポケットマネーから300元渡して生活の足しにしてくれ、というような度量もあった。当時は、中学生が店で何か些細な物を盗もうとしても店主は子どもを諭すだけで警察には通報もしなかった。当時は、デモをする者もなく、ただ司徒華だけが大丸デパートの前で蘆溝橋と918事変について演説していた。1979年になって「獅子山下」は(その舞台であった貧困の)九龍城をすでに出て国際的な賞まで受賞するようになり、当時の香港と同じく中産階級(を映す)番組となり質の高さや様々な創作的なテーマを扱うようになった。いつからだのだろうか、香港は中年になりいろいろな衝撃があって様々な「見直し」が行われ記憶は自らの手を離れ過去を肯定する集団の記憶へと変貌してゆく。「獅子山下」の歌は90年代になってリバイバルヒットし、それは番組の記憶から独立していった。一切の象徴的意義は主観的な願いから生まれるのだから集団精神もそれぞれの人々の自らの心から、下から上へと汲上げられてゆきべきものだから、特区政府が人々に共に苦しい時代を乗りきろう、という時、小市民との距離はどんどん遠くなってゆく。去年の梁司長には今日のような憔悴しきった表情はなかった。「修身、節約、治港、緊縮予算」の圧力のしたで、財務司長はいったいどんな歌を唄うのだろうか。
……含蓄のあるすばらしい内容。個人の奮闘という事実が30年たって集団でともに頑張ってゆこう、と全く正反対の意味を含蓄して集団の記憶というものになってゆく、小熊英二『民主と愛国』でも言われているこの共同の歴史の記憶がいかに変遷を辿るか、という核心、実に面白い。それにしてもこのタイミングでこれを書いた張女史もそれを載せた信報も見識という他なし。
▼蔡瀾氏、蘋果で「我」という随筆に子どもが成長するにつれ我=私といふ一人称使うようになる、というところから話始めるのだが、そこで紹介するのが日本語で女の子が自分の名前を「私」の替りに使って「久美子はアイスが好きじゃないですかぁ〜?」というような用法をすること、これは日本語特有で興味深いこと、と、それは確かにそうなのだが「日本の法律では20歳で成人になり少女は20歳になるとこの「久美子はぁ」を使わず「我」を示す「私」を使うようになる」って……そんな。こんなの人によって違うって、使うか使わないかも何歳まで使うかも。またこの「我」を意味する日本語の「私」の例として一人称で書いた小説を「私小説」と呼ぶ、この語をそのまま(中国語で)読むとちょっと誤解されるが、と(私小説と何か悪いことを書いているように読める)。私小説は確かに「私」という一人称で書かれることが殆どだが「陽一にとっての一番丁は……」とか敢て名前を使って私小説性を匿名にした私小説ってのもあり、だろう。難しい。
▼いぜん築地H君と朝日新聞加藤周一先生と吉田秀和先生の連載について赤い朝日とて最近は保守色強くあの連載二本が「よく続いているよね」という話になり、あれだけの巨匠となると誰も連載中止を言い出せず、ただお二人が老いて連載不可能となることを待っているのでは、などと失礼なことを言っていたのだが、H君によると朝日の『論座』4月号でマジに加藤周一先生がそれについて言及、と。
――もともとどういうきっかけで「夕陽妄語」はスタートしたんですか。
加藤先生……私は例えば憲法を変えるなという主義ですから、そのことをしつこく長く言いたい。でも、朝日新聞が嫌だと言えばそれっきりでしょう。だから、それには連載がいいんですよ(笑い)。連載はやめにくい。これだけ長くやっているのをやめるのは少なくともいくらか心理的抵抗があるでしょう。ところが連載でなければ、やめるんじゃなくて、ただ注文しないだけの話です。注文を新たに発しないということと、今やっていることを変更するということは違う。すべては変更を嫌う。したがって、朝日新聞も変更を嫌うだろう。だから連載の方が都合がいいということもあるわけです。
……朝日新聞は、だれにでも毎月1回書かせるわけではないですね。私は運が良くてということもあるけれども、とにかく朝日新聞は書かせてくれているわけだから。そうしたら、そこで何を言うかは私の自由なわけだ。憲法が、第9条が問題になっているとき、黙っていれば、黙っていることの責任をとらなければならなない。黙っていることは発言です。それは重要じゃないと言ってることでしょう。重要なことから書くんだから。朝日新聞に定期的に書く習慣を持っている人は少ない。だから、それには責任も伴う。いくらか意味のあることを書かないと、と思うのです。何百万部の新聞に「ごちそうがうまかった」とか何とか、そういうことを書くばかもいるけど、それは無責任ではないかと思います。紙面が限られてるんだから。そんなむだ話じゃしょうがないんだね。
――もう一つは、加藤さんはずっと自由に発想し、自由に行動してこられましたが、その秘訣はなんでしょうかというご質問です。
……えー、そうねえ、私はわりに自由に生きてるみたいに見えるって、まあそうかもしれないですがね。秘訣があるかといったら、それはやはり代価を支払わなければだめですね(笑い)。自由と言うものはただでは手に入らないですよ。
と。さすが先生、わかっていらっしゃる。若い世代がどんどん転向していくなかで(あるいはバケの皮が剥がれてゆくなかで)加藤、吉田の両先生が老いても尚健筆揮う現実。朝日購読止めて読めなくなるのは悲しくもあり。H君、この「自由のための代価」について、よくとれば自由を得るために戦う姿勢であり、意地悪くとれば例えば高額の原稿料につられて『潮』に書くようなことか、と(笑)。