富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十五日(土)曇。早朝、小熊『民愛』最後百頁余一気に読み漸く読了。速読なる余かうして読了まで 多くの時間費やしたも内容けして難解に非ずただただあらゆる箇所にて其処に書かれた事実識り立ち止まっていろいろ考えめぐりてまた文字列に戻るといふ行為 が殆どの頁に亘って繰返された結果なり。これまでご多分に泄れず戦後民主主義ナショナリズムといった語用いてきたが小熊氏のこれを読み氏の緻密なる「戦 後」思想の著作と言動の読み返しにより、さういった語も時代のなかで大きな用法の変遷があったこと、ことに戦争体験なるものの各人の体験状況、度合いの違 いは大きく思想に影響与え、1955年までが本当の「戦後」であり55年以降90年まで冷戦構造と経済成長、「戦死者の記憶の無慈悲で気持ちのよい抽象 化」に基づく大衆ナショナリズムのなかで「第二の戦後」の時代を迎え戦後平和主義が欺瞞とされ民主と愛国の共存状態が崩壊、本来、吉田茂から保守と革新を 包括した総体としてあるべき戦後民主主義なるものが近代市民護憲主義だけを意味するものとなり批判の対象として「発明」され、実はこの第二の戦後の安定を 背後から支えていたものは第一の戦後の残像である平和主義であるのにそれも忘却の彼方、悪い意味で吉本隆明的な家族と浮遊する個人を核とした大衆消費社会 が出現した。それが90年の冷戦構造の崩壊でポスト戦後の時代を迎えるのだが、日本は90年までに占めていた特権的な国際的位置つまり非民主と経済後進と いふアジアにあって唯一工業化された自由民主主義国家であるという特権を失って、いったい何が其処にあるのか。それまでの時代を真っ当に理解できていない から、戦争など知らぬ世代が戦争の記憶をめぐる争いが発生し、アジアへの加害責任論が論点となり、今になって日本のナショナルアイデンティティがどうなる のか、と問われる。ここまでが小熊氏のいう「事実」である。そして小熊氏は私見として憲法について55年までは実は憲法の宣う理想主義と現実の混乱と貧困 の格差大きななかで保守が護憲、革新が改憲を主張し(それが55年体制以降正反対への移行が行われたわけだが)、そういった意味では今こそ日本は豊かな経 済的、社会的基盤にたって憲法だの教育基本法だのにある理念を現実化できる、それに適した時代になったのではないか、と。だが冷戦期より現実的な必要性が ないのに改憲だの歴史の見直しが主張され、実は保守愛国の輩はそれを主張するが実はそれを主張すればするほど対米追従外交になっている矛盾もあるのだ が……。靖国についていえば小熊氏は日本の戦没者すべてを祀ったものではないく「公務死」だけが対象である不十分さ、またA級戦犯を祀ったことで昭和天皇 が不満感じ参拝を控える意向を示した事実を挙げる。学校で強制される日の丸君が代とて国民国家思想以前の問題として(そりゃそうである、そういったナショ ナルアイデンティティが存在しないのだから)子供も含めた各人が浮遊している社会での単なる統率の手段として用いられるだけで教育信念に基づくものでもな く学校管理職や推進派はお上に忠誠示して自分の老後の安定ブランドを維持するため、という辛淑玉の意見を紹介している。戦死者にしても国旗国家にしても実 は見せかけだけ、真摯なそれへの敬愛だの信念はない、茶番なのである。で、90年代以降の思想はどうなったか、というと、ここでは加藤典洋佐伯啓思が俎 上に上げられたが丸山眞男に象徴される戦後思想がそれを批判した吉本隆明らの思想と混沌と化して合成され、実は加藤や佐伯らの戦後観が「第二の戦後」の時 代に作られたものでありながら実は55年までの戦後の語を用いて語られもする、つまり第二の戦後を批判しつつ55年までの思想も影響力をもっておらず、し かもそれを超える言葉が生みだされていない、それが現在。それがどういったものなのか、此処で答えを出すのは早急だが、と小熊氏が挙げるのは在日朝鮮人が 日本という国家でも朝鮮という母籍でもない、いずれにも支配されない域でみずからのアイデンティティをもつこと、琉球でも同じだが、そういったものの形 成、を挙げている。ただそれをナショナリズムといふ言葉の復権を唱えないが、と小熊氏。ただナショナリズムという言葉が強固な一枚岩の思想観念なのではな く、それは装置であり、時代毎の読みかえによっていくらでも変容すること、であるからけしてパンドラの筐にそれを押し込めて封印する必要はないのかも知れ ない、と余も感じる。それにしてもこの本一冊読んで、自分も実はどれだけ色眼鏡で戦後を勝手に包括してしまっていたのか、と痛感、痛感。つぎなる大著は日 本語版でのネグリ=ハートの『帝国』、また寝ながら読むと肩凝りである。『週刊香港』の原稿書く。小熊氏の思想に比べたらたわいない香港の老舗の料理屋紹 介、半時間ほどの呻吟。自家散髪。昼からジムで小一時間走り筋鍛一時間。MTRでばったり某誌編集者M氏と邂逅、5月からの連載のことなどMTR車中にて 話す。帰宅して夕方、昨日買い求めたZoeのチーズケーキ食す、美味。明日の香港マラソンため炭水化物摂取と称しZ嬢と粗呆区のLa Piazzeraにてパスタ。この伊太利料理屋の蟹肉と蕃茄をホワイトソースでからめたパスタ食べたいのだが蟹肉なし、とのことで烏賊墨、浅蜊のパスタ。 味と量からして香港ではかなりお得な伊太利料理屋にて繁盛しているが開店から四年目か、この店の伊人経営者は陽気に一切合切気にせず、相変わらず素人の域 を出ぬフィリピンからのヱイトレス、愛嬌といへば愛嬌、気軽にパスタ食す程度にはこれで好し、か。XTC on Iceにてジェラート、天星小輪にて尖沙咀に渡り星巴でエスプレッソ、文化中心にてハービー=ハンコックのコンサート、実に20数年ぶり、前回は東京はよ みうりランドEastだかでチック=コリアとのピアノヂュオ聴いた記憶、今回はハービー先生に88年Wayne Shorterに代わり日本公演からハービー先生と組むMichael Brecker (Sax)、 Wynton Marsalisにより高校生の時に発見されたRoy Hargrove (Trumpet)、この二 人が先生にとっての曾てのコルトレインとマイルスを演じるわけで修行僧の如し、そこにトリックスター的なJohn Patitucci (Bass)とWillie Jones III (Drums)というリズムセクションの5人組、演奏続きメンバー紹介もないまま演奏続き漸くMCのマイクをとった ハービー先生は大学の講義の如く話し始めた内容はコルトレインとマイルスへのcontributionにて、この偉大なる先人二人はジャズ音楽ばかりか価 値観、人間性まで含め偉大なる業績と影響力を残し、自分たちが今やっていることはこの二人の偉人のその財産を会得して更にその上で何ができるのか、その方 向性を毎日の演奏で探っていること、と。お気持ちよくわかる。先生はNew Standardという概念、スタンダードとフリージャズの統合の上での脱構築とでもいいませふか、それをするにあたって、この4名のメンバーはそれを音 にする実力はかなりなもの、単に技術力でいったらMichael BreckerRoy Hargroveもコルトレインとマイルスより管楽器演奏は上手いわけで、ただそれじゃそれが心地よいか、といふと聴いていて思ったことは上手すぎて完成 されてしまっていて、何かいまひとつモノ足りず。わだかまりも苦悩もない洗練された21世紀のジャズの世界か。修行僧と前述したが禅であるとかそういう境 地に先生は達してしまっていらっしゃる。プログラムを見ていて驚いたのだが先生が追悼するコルトレインとマイルスの二大巨頭、生きていたらまだ77歳と 知って愕然、若くして亡くなっているのだが老成してしまった感あり、下手したらまだ現役も可能な世代。それに対してたった15歳若いハービー先生がジャズ 界一身に背負っている感あり。帰宅して荷風先生『あめりか物語』少し読む。
▼李恰氏はかつて香港の『世界』の如き『七十年代』から『九十年代』の名編集長にて『九十年代』誌を廃刊し たあとは蘋果日報が李恰氏を招き論壇という頁に連日政治コラム連載。蘋果日報創刊の折、誰がこの新聞が香港の言論自由を果敢に守り李恰がこの新聞に連載を もつことになるだろうとは想像もせず。その昨日の李恰専欄に「国家認同」といふ一文あり。李氏が数日前に書いた「家国弁識」なる文章が話題となって、とい ふ書出し。詳細はわからぬが親中派の政党民建聯が23条支持のキャンペーンにて「没有國、那在家(国がなかったらどうして家がある)」と宣ったことに対し て孟子の「國之本在家(国の根本は家にあり)」という家重んじ国軽んず観念を用いて、例えば海外に散った華僑らが未だに国=故郷といった場合に中国を指し ても家はカナダだの豪州あって、それもまた可なり、と。つまり国家認識というのはいろいろあって……と李恰氏、まずは文化が同じであることを挙げる。次は 国籍が同じであること、これは人種だの文化だのに関係なく身分証明みたいなもので、香港チャイニーズが未だに英国(海外)旅券をもっているようなこと。そ して三番目に挙げたのが国家が同じであること。国籍はカナダだの米国だのにあっても国家となると中国を考えるような、そういう認識がこれ。李恰氏に対して 「中国を愛するか」と尋ねられれば文化としての中国はそうだが国家となると、その国家の弾道弾から汚職、贈賄、混乱まで全てを含まねばならない。中国の人 民を愛するか、と尋ねられれば国家指導者も?、愛国ならばその場合、中国にある香港の董建華から特区政府まで含まねばならぬのか、と李恰氏。愛国といへば 中国民主運動家で米国在住の医師・王炳章氏、10日だったかに深センの中級法院が終身禁錮実刑判決。王氏は中国国家機密を入手して台湾のスパイ活動に従 事、インターネット上で暴力やテロ活動を呼びかけていた、としてしるが、もともと82年に「北京の春」の当時民主活動雑誌『中国之春』創刊、米国に亡命し たが98年にも中国に密入国して反体制政党結成目指したが逮捕され国外追放、再度昨年九月に越南から中国に再び入国しようとしたところ国境附近で誘拐され 中国側広西チワン族自治区で警察に身柄拘束される。ベトナムでは逮捕できないが誘拐されたとしても中国に入ってしまへばもう煮て喰おうが焼いて喰おうが、 といったところか。それにしても、この王炳章氏にしてもテロ活動家だのスパイだのと烙印押されているが純粋に愛国者であり、じゃなければわざわざ米国から 中国に渡るまひ、しかしこの国家は王氏を国家転覆テロ分子として処分する。しかも半世紀前は同じ境遇にあった中国共産党が、である。これは清朝政府が孫中 山先生を英国にて逮捕しようとしたことと何が違うのか、と今日の『信報』に張偉國氏が書いている。