富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月四日(火)晴。夕暮れにZ嬢と湾仔影藝にて『小裁縫』(監督戴思杰、2002年)観る。 Balzac and the Little Chinese Seamstressが英題で日本では『バルザックと中国の小さなお針子』と紹介されている。文化大革命期に長江上流の渓谷のなかの村に下放された歯科医 の息子(陳坤)とバイオリン奏でる少年(劉華)、彼らが村の娘(周迅)と出会い、文革がこの山奥まで思想改革を断行しようとするなか、文学に酔う少年二人 がバルザックだのの西洋小説、当然ながら反革命文学と烙印おされ禁書、を入手してそれを読みながら愛だの浪漫、人生に目覚めてゆく、といふ、そういふ耽美 なお話。いかにも仏蘭西テイスト。少年は成長しパリ在住のバイオリン奏者と中国でも有数の歯科医となり、パリの劉華はテレビで偶然、その自分が下放された 村が長江に建設される三峡ダムによって水没されると知り……この作品、中国では上映許可おりておらず。文革の否定は政府もしたが、文革の最中に泰西のブル ジョワ文学に耽る若者たちの反革命思想は認められぬ、か。この三人の若者の映画では具体的に語られぬが不安定な三角関係はいい。周迅に二人の少年が思いを 寄せるが実際に付合ふのは陳坤で劉華は浮いているのだが、大人になって「二人は別の方法で(彼女を)愛していた」と回憶しているものの劉華の愛は釈然とし ないまま。この劉華演じるバイオリン青年の愛がわかるかどうか、でこの映画の面白さがわかるっていふもの。映画終わって留園飯店の素斎閣にて素食。四季豆 拌素鶏、坦々麺、素鍋貼と何れも美味。
▼昨晩遅くまで姜尚中森巣博の『ナショナリズムの克服』読む。在日韓国人としてナショナリズム超越した姜 氏、自由人として同じくナショナリズムの範疇などから溢れ出た森巣氏という異色なる二人ゆえにナショナリズムなど痛快に打破できるのだが、これが市井の人 々にあっては、ただ「小泉さんなら何か変えてくれるかもしれない」と淡く期待し中国人の犯罪に「怖いわねー」と感じて石原が頼もしく映るから、そう簡単に ナショナリズムは克服などできない。ところで森巣氏による、バルブ期の日本は「俺のチンポコ、デカいぞ」主義、バブル崩壊後のネオナショナリズムは「俺の チンポコ、小さいが硬いぞ」主義、そして何も誇るものがなくなると表れる「俺のチンポコ、古くて繊細だそ」主義、とこの表現、言い得てて妙。
▼先日、石原サイトの
金正日 そこのけそこのけ 蓮池通る
を秀逸と言ったが、築地H君、金正日にそこのけ、じゃまんまの描写にすぎない、わけで
外務省 そこのけそこのけ 蓮池通る
でないと川柳の批評性はでませんね、と。確かに。蓮池センセイ『諸君』で朝日新聞批判など、いつのまにか保 守派のイデオローグと化して大活躍。安倍二世の後援で自民党から衆院議員に立候補か。H君の知り合いの在日韓国人が「横田さんはかわいそう。なんで周りが 孫に会わせない、などということができるのか」と、これは誰でも思う素朴な気持ち。それが政治的判断に翻弄されている。北への強硬論ばかりブッていないで 安倍二世、横田さんと一緒に北朝鮮随行するくらいの気概もないか……ない、な。総理候補だもの、危険に身を晒せまひ。
▼先日、薄田泣菫(すすきだきゅういん)の随筆集『茶話』 の完本三巻(冨山房)を紀伊国屋に注文したところ上巻のみ店頭も出版元も在庫もないとのこと。日本近代の 随筆のなかの極致、読めぬのが残念、重版を待つか神田ででも探すしかないか、と諦めていたところ紀伊国屋より「ご注文頂きました『完本茶話(上巻)』についてお品切れにつきキャンセルのご連絡メールをお受けとリの事と存じますがこちらについて各店舗に在 庫をあたっておりましたところ上大岡店、返本につき1冊在庫ありのご回答を頂きましたので……」と丁寧に連絡あり。社内での事を「ご回答を頂きましたの で」といふ敬語表現は間違っているが、たかだか一冊の本にここまでしてくれる事とは有難い。上大岡に在庫があったのでなく偶然に一人の客の返品がこうして ネット書店の別の注文に回せるとは大したもの。薄田泣菫といへば、この名前が断腸亭日剩にあったのでは?と築地H君つぶやいていたが、偶然に大正六年大晦 日の日剩に「家に籠りて薄田泣菫子が小品文集落葉を読む。余この頃曾て愛読せし和洋書巻の批評をものせむとの心あり。依りてまず泣菫子が旧著を取出して一 読せしが思ふところ直に筆にしがたくして休みぬ」とあるのを識る。これに続けて荷風先生「今余の再読して批評せむと思へるものを挙ぐるに」とするは落葉 (泣菫)、照葉狂言(鏡花)、今戸心中(柳浪)、三人妻(紅葉)、一葉全集、柳橋新誌(柳北)、梅暦(春水)、湊の花(同)、 即興詩人(鴎外)、四方のあか(蜀山人)、うづら衣(横井也有)と霜夜鐘十時辻占しもよのかねじふじのつじうら(黙 阿弥)。なかで一葉のみ全集であること興味深し。
▼昨日診療うけた待合室と診断室の絵、ポスター「ヘンな」養和病院であるが私立総合病院でありながら診療費 はHK$160で休日料金もなし、医者いたって懇切丁寧にて、高い拙い某医院のような暴利貪らず。次回の診断を言われるが「次回は気管支機能の聴診だけだ から異常なければ薬も出さないし診察費だけで済むから」と医者、つい「どうせまた高いカネ払うなら自分で大丈夫だと思ったら再診なくてもいいか」と思わせ る某医院とは格段異なる心地。看護婦も吸引で使ったマスクとチューブ、次回使用する場合もあるので自分で保管して、と袋に器具入れて渡される、無駄な使い 捨て、而も病院の場合衛生配慮で必要以上に使い捨て多し、を避ける配慮。この病院のひとつの哲学があらゆるところに浸透している秀逸ぶり。