富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月二十六日(日)曇のち晴。ランニングクラブのハイキングZ嬢主催し16名ほどの参加にて黄大仙よ り慈雲山まで小巴、観音廟まで古道のぼり獅子山の絶壁、初めて望夫岩。妻、遠くへ戦か商いかで出かけた夫偲び待ち焦がれるうちに岩になったといふ言い伝え ある子供背負った婦人の形した沙田の吐露湾見下ろす大きな奇岩。現代では中国大陸のほうを見るその向きからしてさしずめ深センに妾囲い香港に戻らぬ夫を待 つ妻か。慈雲山上、沙田峠の恒益茶店にて牛南カレー、カレー魚蛋、カレー鶏翼などカリー三昧で麦酒。帰宅してドライマティーニ飲みつつBaborakの バッハ無伴奏チェロ組曲聞きながら入浴し憇ふ。昨年の旧正月に年の大根餅購うつもりが正月まで予約で一杯と予約もできずの上環は蘇坑街の慶真粥品郷にて今 年は早めに予約入れ昨日Z嬢が受取り、これを賞味す。
▼築地H君も書いてきたが宮台真司氏が奥平康弘氏を相手に語った『憲法対論』話題になるが宮台氏の昨今の天 皇主義が如何なるものなのか。『週刊読書人』1月31日号にて東浩紀、宮台氏の思想について曰く、問題は 「官僚や政治家を含め、この国の市民が、自らの生活を支えるシステムについてまったく感心を抱いていないように見えること」であり「日本人全体が「民度の 低い」「田吾作」でしかなく、そのせいで制度全体がボロボロと崩壊し始めて」おり宮台氏はかつてはこの田吾作らが「戦後民主主義の諸制度を食いつぶし」 「それは田吾作社会の自壊現象であり、そのあとでこそ近代主義リベラリズムが可能になるはずだった」のだが宮台氏は2000年に上梓した『援交から革命 へ』を昨年末に文庫化するにあたり『援交から天皇へ』という書名に変えたのだが、よーするに宮台氏はその田吾作らが天皇を頂き何も考えないでただ崩壊して ゆくヌルい社会にあって敢えて自らが天皇主義を掲げることでそういった「田吾作による天皇利用」を停止させ、天皇に個人的崇拝を抱くことを日本に近代を再 導入するうえで積極的に活用しよう……と、そういうことだろうが、これってかなり難解かも。ただ問題はかつて京という都にあってその田吾作らから隔たって いることが人格であった天皇がその田吾作らによって担がれたのが明治維新であって、確かに皇室自体が明治以降近代化を果たしたのも事実だが、近代の導入に 利用できるほど天皇は政治的利用価値があるかどうか。むしろ田吾作排除こそ<社会>では無理なのであり荷風先生の如くそこからの乖離以外ない?
▼前週に引き続き『週刊読書人』1月24日号で小熊英二 『<民主>と<愛国>』刊行を機とした小熊氏と上野千鶴子女史との対談。結局、小熊氏が男でなく「男の子」であると女史切り込めば小熊氏は(40歳の慶應総合政策学部の教員……だが見た目今どきの20歳の学生なのだが)否定するどころか永遠に成熟した 男になりたいと言い続けた江藤淳を持出し「男」よりも「男の子」のほうが「公」を論じたがる、と言い逃れる。で結局は小熊クンが陳腐な国家主義再構築など には往かないだろうと判断できた上野女史が小熊クンのような優秀な男の子に「満足です」と終わる。すごい世界だよぉ〜。
以文社よりMichael Hardt & Antonio Negriの『帝国』 ようやく刊行。翻訳大国日本にあって正直言ってこの『帝国』翻訳本刊行遅し。この本、Harvard University Pressより刊行されたのが2000年の春。それから早三年!、この間にこの<帝国>の成長著しく9-11や今回のイラク攻撃など発生し世界はこの<帝 国>化に向けて着実に進行。訳者の一人である浜邦彦氏、余にメールい ただき2001年夏に共訳者で合宿にて翻訳作業急ぐとおっしゃっていたが韓国にて翻訳刊行早く(確か2001年末)台 湾での中文訳も昨年の9月。朝日新聞が「翻訳刊行前から話題となる異例」と記事にしたのが昨年5月で7月に以文社より刊行予定と紹介。その朝日の記事によ れば著者この書物を湾岸戦争終結の頃に書き始めコソボ紛争勃発前(99年)に書き終えていたそうな。 2000年に出版されていれば今よかもっと「タメになった」かも。
▼『アホ でマヌケなアメリカ白人』Moore, Michael著(柏書房)原題:STUPID WHITE MEN、かなり売れている。これは米国の白人「国民」にとっては自らの馬鹿さ加減を省みる意味で重要であろうが、日本では発禁にすべし。日本人が読んで 「やっぱりアメリカ人はバカなんだよな」と感じても劣等感逆立ちした歪んだ優越感ばかりなり。アメリカ白人もバカだがそれと戦った翌日からはマトモに語っ たことなどなきまま理解もできぬままそれに親しみ覚えるのが日本、これを読む資格なし。