富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月七日(火)晴。年老いて足冷えひどく行火まで支度し寝ても暁方寒さに小用覚え目覚めれば熟睡でき ぬまま朝を迎え寂寥の感。摂氏七度の極寒の朝。雑務に追われあっといふ間に夜となる。ブリのあら煮を肴に菊正宗。最近かなりの確率で富柏村のサイト開か ず。日に100以上のアクセスあり有難いことながら読んでいただけぬとは真に辛いこと。閲覧が多く大変込み合っておりますならまだしも実は virtualave.netの何十万軒といふサイト全て開かず。www.virtualave.netのサイトぢたいも開かず。これは www.virtualave.netの全般に亘る技術的な問題。合衆国を代表する無料ヱブサヒトであり日頃あれだけ米国先導主義を非難しながらこの米国 的なサイトに自らのサイト立脚するも矛盾あり、また米国サイトにあってはいつ「テロ」の襲撃に遭うかもわからず移転を考慮すべき。米国といへば北朝鮮の軍 事優先思想のアッピールに対して「北」の核開発を非難、これは自家薬籠中のことにて驚くにも値せぬがNHKのニュースとて「北朝鮮による核開発に世界の非 難が集まっていますが」と何故に北の核開発ばかりが非難され米国の核軍事利用は非難されぬのか、余には解らず。
▼2chの時代劇でもH君によると本日の東京“都”新聞にもやはり『武蔵』の『七人の侍』「パクリ」につい て論難する文章あり、と。作り手も受け手も「おっ、七人の侍じゃん」という共通理解のもとに楽しむべき、とH君。芝居でも本歌取りはいくらでもあり。ただ 重要なる点は本歌取りは「しただけの」筋になるべきこと、下手な筋、演出では嗤われるだけ。
▼築地H君によると宮台真司センセイが奥平康弘先生との対談『憲法対論』を上梓、その中であの宮台先生がか なり本気で皇室尊ぶ、と。田舎漢による皇室利用を嘆き、この皇室への恭敬とリベラリズムは両立する、というような姿勢と。奥平先生の主張は言わずもがな。 H君と、確かに若手のかなりリベラリストがリベラル=反天皇制でなく寧ろ皇室への敬慕をさらりと晒すこと少なくなし、と語る。余も少なからず日剩にて戦後 民主主義の象徴の如き、いろいろな意味で憲法に立脚した思想信条の自由を謳歌された陛下について語り、またその下々の者への優しいお心遣いなど称賛をたび たびお聞きする、芳香馨しき光の君が如き皇太子殿下も国民の象徴としては素敵ではないか、と思う。天皇制がないとダメなのか、つまり共和制は日本にて成立 しへぬのか。H君曰く、敗戦時に國體の維持こそ枢要にてGHQも戦後の日本統治においての天皇を用立があったが、かりに一連の戦後改革のなかで「皇室は廃 止しまーす。今日から共和制にしまーす」としていたら、革命は件のポツダム宣言受諾の「八月革命」で済んだといふことにして、で意外と日本国民は「そうな んですか」と適応したに違いない、と。大統領制なら長嶋とか石原裕次郎が選ばれていたかもしれず、その統治に疑問なくもないが、現役の総理であの為体です ら国家が維持されるわけで「あの」都知事に首相待望論があるほどなのだから東証ですら今年の景気回復を願掛けする長嶋大統領の方が100万倍マシかも知れ ぬし都知事よか「弟よ」のほうがずっと冷静な判断力がありか。ただ余が思うにこれは結果論であること、もし八月革命が成功して共和制が実施されていたら可 能だったかも知れぬ、が、今になって天皇制廃止で共和制への意向などしたらマジに「あれ」が大統領にでもなったらそれこそ亡国。それならば折につけ憲法擁 護、平和主義を宣はれる陛下御座して戦後民主主義の見直しだの強い日本への幼稚な願望に暴走しかねぬ国家の右旋回への歯止めとして天皇制といふ装置が作動 していることが有効ではないか、と思う……って美濃部博士の天皇機関説の延長か。それにしても本来、保守反動の象徴に位置すべきが如き天皇制が中庸に在る こともある面では戦後の立憲政治が上手く機能していることに他ならぬかも知れぬ。まぁ具体的な政治の質は別として、だが。さういへば昨日だかの朝日で90 年代の政治改革の総括の如き特集記事あり細川殿があと1年政権維持すれば、つまり政府予算を二度作っていたら単に政権奪回だけではなく自民党が築き上げた 予算バラマキの仕組みが崩壊し、その後の、かつての55年体制による自民党長期政権時代よりも更に強固なる今日の自民党一党政治には陥らなかった、と。殿 にその辛抱ができなかったのであり、それよりも日本新党なる、全く思想なきイメージだけの「何か新しいことがおきる」が如き団体を生んでしまい、そこにま た思想信条乏しき政治志望家群集し国民もまたそんな実体なき団体に期待を寄せてしまったことが90年代の最大の失敗であった、と。それが今日の民主党の為 体まで続く。80年代にバブル謳歌しそれが破綻し本来そこで抜本的改革の最大の機会を過失したこと、これは戦後の最大の国家的国民的失態。それを今日の首 相に見られる漠然とした意欲だけの小手先だけの改革で改革などできよう筈もなし。