富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月六日(月)寒さぶり返し昼頃より降りだした雨は夜になり雨足強くなり気温も摂氏九度まで下がり深 夜には七度、郊外では二度ほど低くなると天気予報。Bang&OlfsenにてB&Oと通常のピンプラグ端子のアンプを通してターンテー ブルだのビデオだのつなぐケーブルを購入、これを期にオーディオの配線の整理整頓。数カ月ぶりにレコード復活。最初に聴いたのはPink FloydのThe Wallなり。ちなみに最初にターンテーブルをつなごうとした八年ほど前にはこの変換ケーブル売っておらず部品購入してきて自作、これが傷んで、当時は B&Oもまだターンテーブルを生産発売しており他社のものをつなぐ必然性はなかったのだが現在は発売中止、時節柄このケーブルが発売されていても おかしくない、と数日前にふと思ってB&Oのショウルーム本日訪れてみたら「あります」と。厳寒に自宅にてZ嬢とチゲ鍋。冨山房から出版されてい る薄田泣菫の『茶話』三冊、注文する。難解ながら近代詩では重要なる詩人であり岩波文庫にもあった希代の随筆家ながら薄田泣菫を「すすきだきゅうきん」と 読むことすら知らず今日に至るは含羞に値す。この名、断腸亭日剩に出てこなかったか?と築地H君と思案。
▼昨晩の大河ドラマ『武蔵』について築地の通人H君と語る。さうさう昨晩は小次郎役が松岡君では剣豪という にはちょっとニンがないか、と思ったが今日ふと、若い方はご存知ないと思ふが、この役、新国劇にてデビューした当時の若き日の緒形拳にでもやらせたら極致 であらう、と。H君もやはり感じたことは、武蔵(新之助)らが通りがかった街道筋で突然或る母(かたせ梨乃)と朱美(内山理名)に傭われその家を毎年襲う 悪党どもと戦うことになるという筋、「あら、これって『七人の侍』か?」と。盛り土に刀さしてる場面もあり、それくらいハッキリやれば「パクリ」でなく 「リスペクト」だか「オマージュ」だかということになるか、と。配役にしても『七人の侍』で菊千代(三船敏郎)が武蔵なら、志村喬演じた勘兵衛に当るは傭 われ侍の頭・半兵衛(西田敏行)、小次郎が木村功演じた若侍の勝四郎。H君曰く『七人の侍』では勝四郎は志村喬や久蔵(宮口精二)にインスパイアされて一 人前となってゆく筋あったが、どうせなら青二才のタケゾウがムサシに成長してゆく契機のようなものをもう少し書き込んでもよかったのでは?と。悪党と戦い 夜襲を受けて半兵衛が呆気なく死んでしまい、復讐相手となった悪党の頭も意味深長な殺気を漂わせたわりに余りにアッサリと武蔵が勝ち、それだけで「俺は強 い!」と悟ってしまっては余りに即席すぎはせぬか。どうせなら、極論であるが戦国時代という背景であるからこそ内山理名演じた朱美という娘の設定を若衆の 少年とすべき。H君のホンでは「俺をなぶりものにしやがった奴らを絶対にブッタ斬ってやる!」「おめえじゃ無理だよ、小僧」「自分だって小僧じゃねえか」 とかいうやりとりがあったのち、意気込んでしゃしゃり出てきた小僧を助けようとして西田敏行が斬られる。「小僧、よく聞くんだ。おまえの父ちゃんは決して 弱虫なんかじゃねえ。本当の勇気ってのは、刀を振り回すことじゃあねえんだ……」と。黒澤明ならここまでもってゆくはず。美学とはさういふもの。ただH君 曰く、それだと「荒野の7人」になってタケゾウは剣を捨てて百姓として生きることになってしまいそう、と……確かに、これでは武蔵にならず初回で終わって しまふか。黒澤明が88歳で亡くなった98年なら新之助21歳。成田屋を黒澤時代劇で抜擢できていたらさぞや面白かった、かと。「おい、新之助君!」と注 文多くどこまで成田屋がそれに応じるか。あの勝新が『影武者』で降板したのも結局は黒澤のどこまでが映画制作上の要求で何処が個人的なエゴなのかわから ぬ、そういった体質が嫌いだったのでは?と思う(映画制作など個人的エゴの究極といってしまへばそれまでだが)。勝新なら役者馬鹿ではあるが芝居は芝居、 芝居と自己の現実は混同されておらぬはず。洒落で遊べる役者。その勝新にかわって信玄役勤めた仲代達矢は黒澤に『椿三十郎』の室戸半兵衛役で大抜擢された こともあり、今更、黒澤のさういふ芸風に反発などあらうはずもなし。