富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿七日(水)晴。快活谷にて晩に競馬。最近競馬当らぬが常にて今晩ももはや諦め後半に突入。 R6(�班1200m)にて李格力君のHonour Supreme(伍調教師)三番人気5.5倍にて単勝、それに四番人気のDerek's Choice(Doleuze/告達理)とで連複当てて次の�班1650mガチガチ2.0倍包装福星(Mosse/何)当て最終レース(�班1000m) 李格力君は伍厩舎にてC氏の多利高と並ぶ�班馬Victory Warriorに騎乗、前レース29倍にてしかも快活谷1000m未勝ながら昨晩10倍が5.8倍まで上がり三番人気、返し馬にて李格力君余の目の前を通 りお祝いを言うと李格力君もThanks!と。結果Victory Warrior一着、パドックにて口取りに現われた調教師の伍氏と視線合いパドックの外よりお祝いを述べると伍氏に口取りに入れと誘われ知らぬ馬主と遠慮 したが馬主T氏は馬主C氏の親友にて余お会いしたことありと言われ恥ずかしながら口取りに参加。この日三番人気二頭にて二勝の李格力君も喜び至極、C氏と ともに祝福。T氏の子息日本語達者。終わって香港競馬場の超名物男譚氏に まで「後半全部勝ったね」と讃めら恥ずかしさ極まりなし。何故に譚氏に余の馬券全て見られているかといへばいちいち彼は余のレープロを覗く故。
▼昨日の朝日にいよいよ「ライ麦」噂にあった村上春樹の新訳で来春発売という記事あり、とH君より一報。記 事にはちゃんと250万部といふ白水社の金字塔なる野崎孝訳『ライ麦でつかまえて』(1964年)に先立つ、原作上梓の翌52年に出版された橋本福夫訳 『危険な年齢』のこともふれる。野崎訳についても「名訳も文体が古くなったという声が読者から出ていた」とあるのはH君指摘した「やっこさん」(笑)とか。しかしH君指摘するは「作品自体が1950年頃の風俗を切り取った口語体であることに意味がある」ので あり、それでは新しい文体にするのか?としたら「すっげーっ」とか「オレ、超むかついたっ」とかなってしまわないか。村上の邦訳の題は『キャッチャー・イ ン・ザ・ライ』だそうで、『ライ麦でつかまえて』でなされてしまふ誤解よかマシな気もしつつ The Catcher in the Rye のあたまの定冠詞Theがなくなっていることじたい英語では間違い、余は釈然とせず。やはり余は『ライ麦畑の捕まえ手』こそ原意に最も忠実なる邦題にて(ちょっと落語の粗忽な人物のようなのが玉に瑕だが)この異見を村上春樹氏と白水社にメールする。朝日の記事「69年に庄司薫さんの「赤頭巾 ちゃん気をつけて」が芥川賞を受賞すると、18歳の「ぼく」との類似性が注目されて売れ行きがのびた」とあり。18歳の「ぼく」が庄司薫の「赤頭巾」の主 人公であり、「売れ行きがのびた」のは『ライ麦』なのだがいつもの通り拙い文章、それはいいとして、この二作品の相関は庄司薫側にしてみたら「いつまでの それに触れないでほしい」ことであり(当然、後続の『赤頭巾』のほうが立場悪し)、それを朝日は文芸記事 でありながら「類似性」とは庄司側にしてみたら失礼千萬(笑)、せめて関連性とかにしてくれればよきもの を……。類似性では「パクった」と指摘しているようなもの。村上春樹が『ライ麦』の訳者として似合ってもいることは20年ほど前だか村上作品は最初で最後 『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』読んだ時にその数年前に読んでいた『ライ麦』を思いだし紐育のこの10代の男の子の物語を村上春樹語れ ば、と思ったことを彷彿。だが余は一人称小説の女王・橋本治訳『ライ麦畑の捕まえ手』を読みたいっ。ところで村上先生「日記をつけますか?」といふ紐育で の雑誌 New Yorker 主催した語りの会での質問に応えて曰く「いいえ。時間の無駄ですし、日記には誰も対価を払ってくれませんから」と。売文家=そりゃそうだ、生業か。対価な ど期待せず筆滑るまま綴るところに日記の真価あり。時間の無駄とは……。まぁ朝日の記事をそのまま信じてはいけないのか しら……。
NHKの制作者(この表現だけが一番似合ふ)秦正純さん が10月24日にパキスタンでの自動車事故で亡くなっていたことを朝日の惜別欄で知る。御年55歳の制作現役。新日本紀行ではどの作品が氏の制作だったの かは知らぬが「北極圏」だの「故宮」だの「街道をゆく」で秦作品を見て観賞に耐えうる映像を堪能。80年代末にNHKにて委託仕事していた折、局内で一度 だけ氏をお見かけする。
「NHKクルー死亡確認〜パキスタンの死亡事故」パキスタン北部で24日 午後、NHKの取材クルーとみられる一団が乗った四輪駆動車が転落した事故で、死亡した4人は、NHK取材クルーの日本人3人とパキスタン人運転手と確認 された。NHK広報部によると、死亡した日本人は、秦正純ディレクター(55)、本田清司カメラマン(35)、 外部プロダクション社員武内太郎さんの3人で、現地の警察がパスポートの番号などから確認した。一行は山岳地帯での取材を終えてギルギットから24日朝の 航空機でイスラマバードに向かう予定だったが、欠航になり、やむを得ず陸路に変更していたという。(「朝 日」10月25日付夕刊ほか)
NHKといへば大河ドラマ和泉元彌北条時宗や唐沢利家などとても大役には値せぬ若造続きさすがに NHKも猛省か来年は新之助の弁慶、80年の獅子の時代を最後に大河ドラマなど見なくなった余と築地H君も23年ぶりに大河ドラマか、と期待。歌舞伎役者 といえば勘九郎の内蔵助も数年前にあったが我にとっては79年の「草燃える」にて音羽屋親子の松緑後白河上皇辰之助(先 代)の後鳥羽上皇であり、1963年に松緑井伊直弼花の生涯)にて大河ドラマ始まり、 来年の新之助の弁慶は66年の菊之助(現・菊五郎)の源義経に対峙するもの。ただし若役者としては「66 年当時の」菊之助よか「この絶不調な時代の」新之助に何か期待する。
▼グールド没後20年だそうである(吉田秀和「音楽展望」26日朝日)。 20年前に50歳で亡くなっているのだがそれじゃ20年前にグールドが亡くなったという印象があるかというと20年ほど前に亡くなったのはジョン=レノン であって50歳のグールドといふのはもはや当時も余の中には存在しておらずグールドはジェームズ=ディーンの如く若いままピアノに凭りかかっている。吉田 秀和はその1957年のモスクワでの演奏のことを書いている。スターリンの時代が終ったばかりのソ連に北米の音楽家(グー ルドはカナダ人)として初めて招かれ、バッハの『フーガの技法』!を弾き奇跡が起きて、これがモスクワの観客に衝撃を与えている。吉田秀和 曰く、閉ざされた社会にありながらのグールドのバッハを聴いたそのモスクワの観客の質の高さ、判断力の確かさと感受性の鋭敏さ。御意。