富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿六日(火)晴。昨晩気持ち良く酒に酔い多少の睡眠不足除けば爽快なる朝を迎えたつもりが宿酔 いなきことはつまりまだ気持ち良く酔ったままだったようで金曜日に保存していたファイルに昨日の日記更新し揚上してしまひしつかり土、日曜の日記失う失 態。日曜の日記本文テキストにあり事無きを得るが土曜の日記本文も保存されておらず辛うじてキャッシュに残りし残映恐る恐る開くが忌まわしき Netscape7.0作動してしまい土曜の項コピーするが貼り付けると文字化けにて使えず。老いて数日前のことすら忘却の彼方、懸命に思いだし再び綴 る。晩に佐敦にお座敷かかり(今晩でハネ)ひとり呉松街の翠華餐廰にて海南鶏飯食す。翠華、中環や銅鑼湾にも店あるがこの佐敦の本店?「香港の茶餐廰にて 最も繁盛する店」に間違いなし。客引切りなし。だが不思議なることは例えばこの店の名物と云われる海南鶏飯、味も銅鑼湾の南亜餐廰や上環の新加坡餐廰ほど 美味いわけでもなく鶏も貧弱にて値段は例湯と油菜ついて、にしてもHK$45と安からず。店は雑多にて煙草の煙立ち込め落ち着かず。何故にこれほど繁盛す るかまことに不可思議。ちなみにこの店、メニューに「サービス料なし、但し浄飲清茶HK$12」とあり。高級な店だの伝統的な茶楼なら茶代もとるが茶餐廰 では珍しく而もHK$12は安からず。「ただ茶飲んだら」の意味はおそらくこれだけ賑わう店であれば場所柄、店に入って何も頼まずただ供された安茶だけ 啜って去ろうとするような愚客でもあり、それへの警戒か、と察す。吉川弘文館・街道の日本史14『常陸水戸街道』読む。雪 村周継が常陸の人とは知らず。徳川光圀の少年時代、兄を差し置いて嫡子とされたことなどあり非行、「異様な姿で町を歩くかぶき者同様であり、弟や 身分の低い者と淫乱な話をする」などと養育掛小野言員が認めたそうだが、世は好事家・家光の時代、この光圀のかぶき具合も亦かなり意味深なり。