富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月一日(金)晝まえより雲ひとつなき惚れ惚れするほどの青空。夕方になり曇。秋のレースシーズン となり「まずは道具から」の鉄則にて明後日のハーフマラソンの出場者割引にてPolarの 心拍数測る腕時計購ふ。春に三半規管不調にて、それ以来、夏の暑い時の運動や急な上りなど心拍数高まると耳鳴りなど自覚あり。中環のColorsixにて 北京の写真焼き上がり。たかだか素人写真なれども巷の全自動DPE屋と比べると焼きが断然異なるは流石。帰宅してPolarの心拍時計と取説を睨めっこ。 かういふことをしている時の男児の集中力といふのは老いても衰へず。自転車の速度計機能つきにて昨夏購いまだ三度しか搭っておらぬ自転車に部品装着。
▼外国人記者倶楽部にて小柴、田中の両氏が会見。「日本は研究開発費や人口のわりにノーベル賞受賞者がこん なに少ないのはなぜか」という質問が相次いだそうだが理由は明白にて言語活動が日本語にて閉じているからに他ならぬ。「田中さんは「英語に自信がない」と 通訳の隣に座ったがほとんど自力で答えた」(朝日)って、紙面では 「田中さんは通訳の隣に座ったが」と「英語に自信がない」が削られているが、いずれにせよ「自力で」って自力って普通「爆発現場の瓦礫のなかから自力で脱 出」とか「アイガー北壁での雪崩から自力で」ってさういふのじゃないの?。確かに英語の苦手な人が英語にて問答するは苦難にて懸命にそれをこなすは自力か も知れぬが、本来なら記者の質問に答えるだけの知識もない者が懸命に答えたら自力であろうが、その有識者の言葉の問題にすぎず「通訳を使わずほとんど自分 で答えた」でいいのでは。この「自力で」といふ表現に日本の限界明白地なり。