富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2002-10-31

十月三十一日(金)曇。毛唐の知人に"Happy Halloween!"と挨拶され何と答えていいのかと言葉一瞬失ふ。"Happy Halloween!"とただ言い返せばいいのだろうが余は偏屈者にて上辺にてさう付合えず。毎年書いていることながら古来ケルト人が死神Samhain 讚え死者の魂が家に帰るとされ新しい年と冬迎える節句にてキリスト教に取り込まれ万聖節となる。放牧されていた家畜を寒さに備え畜舎に入れる日。それが彼 の国において何事でもそうだが深き根拠削ぎ落とし純粋ショーアップ化され今日のハロヰンとなる。祝う者もその由来を知らず。彼らがハロヰンを祝ふは勝手な がら聖誕祭同様に世界中キリスト者ばかりであるが如く誰彼かまわず祝祭されるとどう応えてよいものかと躊躇せわるを得ず。我は節分の豆撒きを、モスリムも Ramadanの断食を毛唐に強要せず、仏誕節も佛の恩徳を信ずる者だけで祝ふ。支那人とて中秋の月を蛮族に勧めず、それは敢て嫌味でいへば「この月の美 しさに酔ふ」感性もつ者は高貴にて蛮族どもに月を愛でることなどできぬものといふ偏見があるやなきや、いずれにしても文化なるものはさうして他との差異化 と独占にて生まれたもの、キレイにいへば「全て奥ゆかしく信ずる者の内に秘めたり」。それに対して彼の国の彼らには寧ろ他者への偏見なき由にて悪気なく純 粋に"Let's enjoy Holloween together!"といふ気概。その無邪気さこそ理屈とかなき故に実は難儀。これまでその無邪気さに世界が合わせきたのだが、それが世界中喜怒哀楽を共 にするといふ誤謬に繋がり、何故に自らがイスラム原理派から敵とされたのか全く理解できぬほど、ただ相手が悪い奴だからだ、といふ結論に到るようになり ぬ。ドナルド=ダックらが南米に悪い奴を退治に行く漫画から今日のブッシュまで全てがそれ。ふと思へば故・笹川良一先生は「世界は一家、人類皆兄弟」と仰 言られていたが価値観が一緒とは言っておらず、家族兄弟とて肉親にありながら考え方など異ること常にて仲違いや不和あり「それでも親兄弟だから」協調して いかねばならぬのがこの世である、といふことだったのか。何事においても十人十色であるべき哉。己れには解せぬこと多し、であればこそ興味津々楽しきもの なり。キョービの風潮はそれを忘れまるで世界が一つの体系、価値観にて動いているが如き誤謬あり、それに基づく意思の疎通の不和なり。ふと思いだすは数年 前の冬にタイのリゾートに遊んだ折ちょうど聖誕節に当りホテルの従業員がサンタクロースの格好にて各部屋をまわり心ばかりの、と小品を配って歩き、余はそ れに起され寝惚たまま部屋の扉を開ければ"Merry Christmas!"と言ふ笑顔の少年は自然とタイ式にて胸元で合掌。思わず余も合掌。これは仏式なり。何故に阿弥陀佛を信ずる者同士が基督の生誕を祝 ふのかグローバリズム下の甚だ奇妙な光景なり。つまりこれはユニバーサルな(普遍的な)ものへの転化に非ず、ただ強大な権力有す一つの<体系>への画一化 に他ならず。晩に4年前に帰邦されたY氏来港し同郷のS氏、A氏らとY氏在港の頃は未だ知る人ぞ知るであった北角渣華道街市の東寶小館。六時に訪れれば予 約満席にてどうにか隅の卓宛てがわれるが晩餐の遅い香港にあって六時半も過ぎれば見事に満席にて唖然。予約とれぬ客が企ったまま卓の空くを待つも数組に非 ず。そこまでして食すほどの料理供するかといへば甚だ疑問ながら興味深きことは年若き客ばかりにて邦人この肆を好き好んで訪れる理由は街市の熱食中心香港 に数余多あれど街市に慣れぬ邦人とて安心して気安く入れるは此処ばかり、それ故に流行るが実はそれは邦人ばかりに非ず香港とて年軽の衆にはもはや街市の即 席など普段は不潔なる場所にて訪れることなく此の東寶小館であるとかHappy Valleyの黄泥涌街市であるとか極めて清潔にて凍えるほどの冷房完備、街市といふ場所の疑似体験を得られるものなり。年嵩の入った人に言えば今さら何 を好んで街市などで食事したいものかと言ふ。冷房の寒さ我慢できず街市附近にて寒さ凌ぎの衣服探すがわずかHK$20とて好みの服あらず、ふと思へば Trailwalker主催するOxfamの事務所に近く訪れ今年のTrailwakerのTシャツ購い重ね着し寒さを凌ぐ。食後独り北角の波止場を閑 歩。曾ては九龍に渡る要所にて賑わい活け魚など売る屋台並び盛況を博すが今では波止場を囲むように建った公共団地も老朽化にて「再開発」となり住民立ち退 き取壊し待つのみにて、つい一ト月程前にはまだ現役にて余が写真に収めた郵便局も既に廃虚と化し、スケー トボードする子供らの跳板の軋音ばかり侘びた鉄筋に響くを聞くも亦寂しきものなり。鉄条網にて蔽われた団地の隙間には徘徊する野良猫に餌を誰かしら供し寂 しく餌喰う猫を眺め、すでにひとけなき北角の市場街より深夜のバスにて帰途につく。
北角書局街にあった北角郵便局(富柏村撮影)2002年8月
窓両側についた冷房機と木扉上のシャッターが邪魔だが、それ以外は70年頃の小規模郵便局の原形を留めている。
北角琴行街にあったモダンな集合住宅(富柏村撮影)2002年8月
50年代からの所謂「難民アパート」や60年代末からの公共住宅とは趣きを異にする集合住宅。建築年代は不明だが同潤会アパートのような重厚さが漂う見事 な建築。
取り壊された北角邨(North Point Estate)中大樓のG階廊下(富柏村撮影)2002年8月
大理石とまではいわないが磨きあげられた石床、壁のタイルの装飾など解体されるのが惜しい。大陸からの著しい避難民流入で香港の人口が激増し、その対応と して応急で建てられたとは思えない見事な作り。今日の公団住宅の陳腐な安普請とは比べ物にならず。▼最近、この「富柏村のゑぶさひと」日に100名弱の閲覧者あり。virtualnet.aveのデータに よればMicrosoft社による寡占下、このサイトの閲覧者においてはNetscape利用者が23.5%おり、OSについてはMac利用者が 24.8%と市場占有率にてはMac10%にも満たぬ現状にては健闘。つまり閲覧者もかなり偏屈者多しといふことか。興味深きことはYahooなどの検索 によりこのサイトに入る方が40.9%を占め、検索エンジンもこれほど便利になれば確かにbookmarkなどするよか検索で「富柏村」と打てば当るわけ で便利といへば便利。また余もその一人ながら「アミノギア」だとか「香港殯儀館」などと打つと情報検索のつもりが自らの日剩に当ってしまふケースもあり、 誰か彼か何か検索して偶然この文字量だけは多き日剩に引っ掛かるケースも少なからず、か。ちなみに検索は実に92.6%がGoogleにてYahoo!は わずか0.96%といふ惨憺たるもの。
▼日本を代表するquality paperの朝日新聞、「旧首相官邸の庭から大名屋敷が 出土」と。沢瀉屋かドリフの大掛かりな舞台じゃるまいし大名屋敷は出土せず。「出土」とは土器石器埋葬品の類が出土した場合であり、「吉田茂の葉 巻」なら出土。これは大名屋敷跡が発掘されたにすぎず。
文化勲章文化功労者の受賞者 一覧を眺めていて気がついたのは都民の受賞者のその殆どが世田谷区在住か中央線沿線。なぜ? そのなかで一際目立つのがドナルド=キーン氏の北区在住。い いねぇ、文士ってのはもともと北 区田端だよ。そういう明治の気風ってものが日本人じゃなくキーン教授によって守られているってのがねぇ、なんとも寂しいというか嬉しいってぇか。 そーいやサイデンステッカー先生も台東区だけど池ノ端だったか。不忍池の湖畔を散策されていたもの。