富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月二十九日(火)曇。この季節には珍しく今にも一雨ありそうなどんよりとした雲立ち篭めるなか早朝 に北角英皇道を抜ければ香港殯儀館門前に供花いつにもなく多く記者ら多く群がり誰人の葬礼かと思えば先日癌にて五十余歳にて逝去の歌手・羅文。新聞に目を おとせば昨夕より告別始まり香港の黄金時代象徴せし歌聖の逝去に芸能ばかりか政財界要人まで参列と。弔報的に綴れば「70年代香港が経済的にも高度成長始 めた頃にデビューしその歌は当時の香港市民を勇気づけ香港の成長とともに羅文の歌があった」「芸能界を象徴するような華やかな歌唱と舞台は実力派歌手とし て多くの市民を魅了しつつ、二十年前に全裸写真を発表するなど話題性に富み、発病後も同性のアシスタントが公私にわたり面倒を見て、生涯独身を通した」と でもなるのか。財政長官・梁錦松が経済低迷のなか曾ての香港が苦労した時代に懸命に生きた市民を描いた人気テレビドラマ『獅子山下』を取り上げ今日もその 活力を!と(そういう精神論より経済対策を!)宣い、このドラマ再放送され、その主題歌が羅文。すでに癌発病し治療の最中にあったが羅文リバイバル。日本 でいへば加山雄三か、ただし広東省の貧家に生まれ香港に移住、苦労して歌手になりといふ点では若大将より北島サヴちゃんや森進一的に演歌っぽく、薔薇の花 に囲まれプレスリーなみの派手な衣装と豪華絢爛な舞台といふ点では美川憲一、でとどのつまりはは森進一的に芸能界デビューした美川憲一風の妖しい青年が丁 度高度経済成長のなかで加山雄三的国民的ヒーローとなり谷村新司のように私は大御所正統派歌手然として芸能界に君臨し、不治の病で逝去、永遠に惜しま れ……と、まさに<芸能>の王道。と書いておいてジムでこのまわりくどい喩えに替わるものは……と思ったら、そう「美空ひばり」なのだ。その歌い手が亡く なることで一つの時代が一緒に終わってしまふくらい存在感がある、まさに羅文は日本でいへば身空ひばり。今和次郎『新版大東京案内』上巻読了。上巻は考現 学といふより東京を最もよく知る先生がさらりと書いた観光ガイドの如し。今和次郎ほどの東京通は江戸っ子と今日まで思っていたが実は弘前。『江戸から東京 まで』の矢田挿雲も佐賀の人。忘備録的に書き留めておけば、東京の顔のようなデパートであるが震災までのデパートといえば三越白木屋を双璧として松坂屋 (上野)、高島屋(京橋)、松屋(神田)、大丸(丸ビル)、武蔵屋(四谷)の七軒。三越に並ぶのは高島屋じゃなく白木屋といふのが意外。高島屋日本橋で なく京橋。大丸は丸ビルが出来て京都の老舗が東京進出。これが震災のあと丸ビルの大丸が丸菱となり(戦後はまた大丸)、四谷の武蔵屋が倒産してこれが新宿 の京王ビルに移り(現在の京王デパートの前身)、松屋松坂屋が銀座に進出、新宿ではほてい屋と三越の支店が競合し、伊勢丹はまだ昌平橋に開店したばか り。また劇場では新橋演舞場というのは今では松竹の経営で場所も東銀座から築地に向う途中にあるがもともとは名の通り新橋にある演舞場であり、新橋芸妓の かせぐ玉高から見番へ積み立てた所謂「刎ね銭」を資本として建てたもので年に三度、芸妓一同が出演して東をどりが褒貶だったのもそれが芸妓の総見であった から。それと今和次郎はかなりのグルメだったようで「味覚の東京」で紹介する肆々はといへば
料理屋 柳光亭(浅草)、八百善(築地)、星ケ丘茶寮(山王)
天麩羅 天金(銀座)、橋膳(新橋)、高七(魚河岸)、中清(浅草)、伊 勢卯(日本橋
お座敷天麩羅 錦(京橋)、三好野(赤坂)
鰻 竹葉(新富町)、大和田(麻布)、大国屋(霊岸橋)、小満津(京橋)
寿司 帆か け鮨(銀座)、与兵衞鮨(両国)、毛抜鮨(住吉町)、幸寿し(京橋)、蛇の目(新富町)、美佐古(四谷見附)
蕎麦 薮(連雀町)、更科(麻布)、万盛庵(奥山)、蓬玉(池ノ端)
豆腐 笹の 雪(根岸)
おでん 丸梅(四谷)、まるぎん(神田)
小料理屋 加六(銀座)、岡田(銀座)、赤あんどん(日本橋)、左近(銀座)
お手軽料理 江戸銀、赤ひょうたん、花むら
牛鍋 松喜(銀座)、三河屋(四谷)、今清(よし町)、今文(神田)
鳥料理 末広(銀座)、都鳥(池ノ端)、なると(溜池)、金田(馬道)、 喜仙(銀座)
とろろ料理 むぎとろ(湯島)、まりこ(赤坂)、たごと(日本橋
上方料理 錦水、春日、浪花家
京料理 瓢 亭(赤坂)、伊勢忠
西洋料理 精 養軒、東洋軒、中央亭、宝亭、帝 国ホテルグリル、ボストン(赤坂)、オリンピック(銀座)、富士アイスクリーム(銀座)
カレーライス 中村屋(新宿)、晴湖(銀座)
素人洋食 隠豪家(京橋)、翁(日本橋
支那料理 山水楼(日比谷)、晩翠軒(芝)、陶陶亭(日比谷)、偕楽園日本橋)、もみぢ(赤坂)、上海亭(銀座)、芳蘭亭(築地)、雅叙園(芝浦)
その他 揚出し(上野公園下)、精進料理吉見屋(浅草)、みやこ(浅 草)、どぜう越後屋(駒形)、すっぽん料理まるや(日本橋)、栗めし角伊勢(目黒)
浅草海苔 山 本(日本橋)、山形屋日本橋
佃煮 佃茂(佃島)、田中屋(佃島)、玉木屋(芝)、宝来屋(銀座)
果物 千疋 屋(銀座)、万惣(神田)、高野(新宿)
甘味 饅頭の塩 瀬、練羊羹の藤村、甘納豆の栄 太郎、干菓子の虎屋黒川、金つばと栗饅頭の青柳
最中 鮹松月、壺屋、うさぎや空也、塩瀬
洋菓子 不 二家、三河屋、風月、和泉屋
チョコレート 森永
団子 芋坂だんご(日暮里)、夫婦だんご(松葉)、言問団子(向島
大福と金つばは東京中の名物なり、
……と。青字は余が食したことある、或は今でもある(はず)の肆。他にもあればご教示下されたし。こうして綴っているだけで銀座 の竹葉で鰻、根岸の笹の雪で豆腐、銀座のはち巻岡田で一酌と夢心地。富士アイスは荷風散人が贔屓。鳥料理で池ノ端にて都鳥とはいかにも情趣ある名。とろろ 料理のむぎとろとあるが新宿東口にあったむぎとろとは別かどうか。
朝日新聞しりあがり寿地球防衛家のヒトビト』、合州国の一国至上主義を表すunitarianism といふ言葉を「ユニラテ……ラリ」と難しいねぇとボヤくのは地球防衛家ばかりでなくホワイトハウスの執務室にももう一人、と(笑)。ブッシュ君がこれを言 えぬという風刺はブッシュ君のオツムの弱さと実際に米国ismの当事者でありそれが他を否定している至上主義であるといふ理解すらできぬという二点あり、 秀逸。ユニで切ってしまうと言いづらいが新教の一派であるユニタリアンの人々の主義でありismをつけずユニタリアン、ユニタリアンと念じておればそれに ismをつけるだけで発音も易し。純粋なる一神派にてエホバの神が神であるからにはイエス=キリストの神格を認めず。さういふ意味ではキョービの米国の専 制主義は神の尊厳さをも恐れぬ独裁にて正確にはユニタリズムといふにもおこがましきものなり。
カリブ海を望むリゾートホテルのプールサイドに白いシャツと黒いズボンの老給仕たち並び何事かと思えばホ テルの給仕に非ずAPECなり。香港より董建華君出席するが紛いなりにも現在かもしくは過去に民意にて選ばれた政府を代表する元首もしくは総理のなかに実 質的官選のたかだか地方都市の首長がいる矛盾。矛盾といへば保安局長葉淑儀、基本法23条による国家安全法の立法について国家転覆を罪とするなら中華人民 共和国成立は如何に?と問われれば「革命は天に順ひ人に應じ人民の支持あり」と肯定。司徒華「それなら当時は万民の支持あった文化大革命も肯定か」と一 笑。民主主義については「民主主義は万能ではなくヒットラーとて民選にて総統となり700万のユダヤ人を殺害」と葉淑儀は答えるが同じ民衆の支持でも中華 人民共和国は肯定されヒットラーは否定され、二、三百人の学生が自分を非難したところで31万人の会員を有する工聯会(当然、親北京派)の広汎なる23条 支持がある、と反論。厚顔無恥とはまさにこの人。厚顔無恥といえば中国の錢其深副首相は香港での23条反対について「23条に反対する人には心に鬼(悪 魔)が棲みついているのでは」と発言。中国の曾ての名外交家も老いてボケたか。
加藤周一氏『夕陽妄語』にて「北京の秋」なる一文。日中国交正常化三十周年にて加藤先生も訪中、北京飯店 より天安門前広場、長安街を眺め(この景観は遅ればせながら本20日の日剩附近に写真掲載す)ホテルの樓上に登れば碩学の目には長安街が長城を越えてはる か絹の道に連なり大陸の空間全体を貫き、市街を一望すれば北京ばかりか中国が、更には東アジアがよく見える、と。碩学曰く大国の条件とは「その国民の意識 のなかに直接自国の利害に係ることばかりでなく世界のどこで起きる出来事に対しても関心があり意見がある」ことで「すなわち世界を他国の眼を通してではな く自らの目で見ようする習慣がある」もの、と。例をあげて「米国のタテマエは世界のどこにでも民主主義と自由市場を求める」ことで「中国政府は原則として 世界のあらゆる状況について主権の尊重を説き「覇権主義」に反対する」ことで普遍性に基づく主張は大国の条件の一つであり、その意味で米国は大国であり中 国も少くとも潜在的な大国、と。その中国が「新しい世紀の初に扱うべき問題の優先順位の第一」として「歴史認識」を挙げ、「侵略戦争の過去を日本社会がど う見ているのかという問題」があり「武器を携えて他国に浸入し百万単位の市民を殺傷すれば加害者は忘れようとしても被害者は忘れない」のであり靖国神社公式参拝大東亜戦争弁護の教科書の公認やくり返される政治家の失言は「その問題を解決するためには貢献しない」もので「憲法九条の改定と軍事同盟は無 益」と碩学。その通りだが敢て付け加えれば「加害者は忘れようとしても被害者は忘れないが、その被害者じたいが大国であった場合、殊更」大国としてそのよ うな忌まわしき過去は忘れまじ。日本に侵略され市民虐殺をされた中国であり本土攻撃を受けた米国がそれ。徹底した対米戦争を続けながら戦争が終れば反米感 情もなき日本や越南は小国といふことか。