富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2002-10-24

十月二十四日(木)快晴。T97次列車は夜中に長沙を過ぎ朝七時には広東省へと入り韶関に停まるがそ れも知らぬまま列車の揺れとレールとの軋音心地よく更に昨晩の白酒(日本の雛祭の白酒に非ずバイチュウという54度の蒸 留酒なり)の酔いもあり朝八時まで爆睡。飛行機を嫌い専用列車の旅をされる北の将軍様のお気持ち理解に易し。ここまで先行列車を次々と追抜 き快走続けたこの列車も列車運行本数多き広東省に入ると途端に速度落ち殊に広州より深センの大動脈は高速列車ばかりにては電気機関車が列車牽くこのT97 次も優等に非ず而も東莞(常平)にて中国の出境手続きあり通関のため列車より一旦行李携え出境を通り再び列車に戻る、その手続きに80分停車もあり、韶関 より香港まで350km程を六時間といふ鈍行ぶり。かりに此処をそれまでの快走続ければ北京より香港まで24時間も可。さういへばこのT97次列車、当然 97が示すは1997年香港返還にて北京発香港行(下り)が97にて香港発の上りが98、燕京より香港に下り入るを97としたは当然か、この列車運行開始 の折は時間短縮狙い京九線(北京〜九龍)を謳い京広線(北京〜広州)に並行して東莞(常平)より南昌、合肥、済南を抜ける縦断鉄路を急遽建設し弾丸列車走 らせると息巻いていたものの結局は香港より北京、上海を結ぶ列車、従来の京広線走り今日に到る。噂にてはこの新鉄路、工事急ぎ地盤工事疎かなれば高速運行 どころか旅客運輸に耐える安全性すら乏しく貨物のみ運行、と。北よりかうして南下すれば華南、殊に広東省は土地肥沃にて産業栄えその裕福さ著しきもの。香 港に晝すぎ定刻に到着。先週土曜北京に出発の折、飛行機にて予想し日曜のマラソン終わって慌てて購入せし馬券、荒れず手堅きものとはいえ購入せし7レース のうち5レースにて単勝とり残り2レースも亜、李軍と入賞。かういふ時にかぎり購入馬券の単位額低し(悔)。
▼久々に香港の新聞見れば董建華、香港大世論調査に中止圧力かけたりなど董建華の腹心として暗躍せし路祥安 (元・行政長官上級特別秘書)、その不評著しく先の行政長官茶番選挙の折、この公職解き選挙対策任せ、表面的には董建華の船会社・東方海外(一旦倒産しか かったところを中共資本により再建され董建華中共に恩義あり行政長官となっても親中であることは当然の結果、そうできる人材を行政長官にせし北京政府の 策略なり)所属と戻したが、董建華にとっては腹心中の腹心にて来年早々には再び特別秘書に任命と。香港政府の公務員信用できず外部より知人畏友招聘し脇を 固める董建華の幼稚さ顕著。
親北京『文匯報』の香港基本法実施五周年の記念特集にて基本法委員会委員である譚惠珠(親中派……当然か (笑)が「基本法23条の立法化に反対するような司法関係者は中国公民にならなくてもいい」とまで発言(唖〜!)。「まず民族ありきを理解して民主、国家 ありきでそして香港特区」と。董建華の拙政といいかういつた国家主義といい所詮、植民地根性に培われたる奴隷性以外の何ものでもなし。
北京〜香港のT67次列車の餐車、車内。モダンで す。美しい。
レースのカーテンのむこうに大地がひろがります。
(2002年10月23日、撮影富柏村
「站」は列車の駅ではなく実は司馬台の長城のケーブ ルカー站。
 站舎の上に纜車站といふ大きな文字看板があり
 それが晩秋の午後の陽を浴びて地面に投映されました。
 (2002年10月21日、撮影富柏村
 ワトソン君、キミにはこの画像が虚構であることがわからな いかい?
 えっ、ホームズ先生、これのどこが……。
 站の看板は站舎正面から見えるように字が並んでいるよ、普 通は。
 站の裏から見るためじゃないからね。
 この站の方角や建物の構造、撮影の位置関係はわからない よ。
 でも、こう撮影されるとしたら、だ、ここが重要だよ
 この撮影者は站舎の屋上にでも上がらないと撮影できない。
 屋上で文字の裏側にまわって文字の向こう側からの光で投映 された字だ。
 しかし站の屋上に上がるかい?
 普通は站の正面入口に立って、偶然にこの影文字を見たとし たら
 字は裏返しになる、はずじゃないかね?
 あっ、そういうことか……さすが先生。でも……。
 どうした?、ワトソン君。
 でも、先生、どうして中国の漢字が裏表逆だって読めるんで すか?
 うーん……、なかなかいい質問だね(汗)。