富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月二十二日(火)朝食にとロビーに降りれば某大学の数数多ある付属高校の一つが修学旅行。分別もな き粗野なる十代の腑抜面、親のカネにて旅行に遣られる身であれば宿泊など青年宮で良し。真の教育者であれば学校側も教育にて何を教えることが大切なのか真 摯に考えるべし。青年宮なり学生のための宿泊施設を看ればきっと「施設が貧しい」だの「衛生に問題がある」などといふ感想をもち、それでロビーに「よろず 相談所」のテーブルまで出して若造のために上げ膳据膳にて対応するJTBの配膳にて北京飯店か。東京でいえば帝国ホテルに泊めるようなもの。かりにそれを 赦すならばまずホテルでのマナーなるものを教えるが教育ではなかろうか。弛れた服装、エレベーターにては相手に先を譲る程度の作法。渋谷の路上ではないの である。その粗野ぶりで中国など訪れ修学旅行してもなんら教育的意義などなし。黒い詰襟の学生服も異様ながら、北京飯店に泊まらせるほどならせめて揃いの ブレザーにスラックスくらい学校が用意すべし。行楽日和の好天、北京之秋、司馬台の長城に游ぶ。初めて北京訪れしは20年近く前、それ以来七、八度来京し ものの機会なく故宮すら前回昨秋が初めて。ホテルにてバスに乗り市街のホテルいくつかまわり更に八逹嶺の長城に向かう者と司馬台に向かう者に分けられ司馬 台へと向かう。120km余といふが北京より東北に向かい密雲県に入っても整備された道路が続く。密雲県、北京郊外にてハイテク産業育成推進し工業団地作 りバブルでマンション立ち並ぶがご多分に漏れず既に廃墟の如し。ハイテクなるものは巨大なビルを作ることにあらず、いかにそういった重建開発型から脱却す るか大切であるのにビルを立ち並べるばかりか粗野な装飾だのローマ風の柱だの宮殿の如き有様、マンションもこんな交通量の多い幹線道路沿いに建ててはせっ かくのバルコニーとて無駄。中国の各地の大都市の郊外に存在するこういったバブル後遺症の遺跡。長城への往路、バスの中にて英語ながら全く何を話している のか意味不明のガイドいろいろ説明。長城の地図見せれば歴代のいくつかの長城の線が色分けされロスアンジェルスから来たといふ若者が「何故に歴代の王朝は 新しき長城を築くのか、既存のものを修繕すれば更に強固なる長城が築けるではないか」と質せばガイド氏曰く「良き質問なり」と。ただし返答に窮し「前代の 長城、風雪にて傷み再び築城が必要」と。それもあろうが、歴代の王朝にとって長城など実質的国防の意味などなく、それを築くことが権威の象徴なのであり、 前代の王朝の長城の改修など有り得る筈もなし。巨大な無駄であるがその無駄のために人力と資源、資金を投入できることの誇示。ガイド氏が八名のツアー参加 者に自己紹介などさせて恥ずかしきこと限りなし。ふとツアーに参加などいつ以来かと思えばZ嬢は大学卒業の際の欧州旅行以来、余もランニングクラブでの二 年続きの広東旅行を除けば1985年に中国初めて訪れ遼寧省北朝鮮との国境の丹東市訪れ対岸の北朝鮮新義州市を眺める黄緑江の遊覧船に乗って以来のこ とかと彷彿。その時、新義州側眺めれば四、五階建てのビルが並ぶが全ての建物が中国側を高くして「見せる」ための建物、赤いスカーフをした小学生が並んで 笑顔で手を振ること毎日のことか。この85年の旅行、予算も乏しくこの丹東にても外国人に開放された丹東賓館にて宿泊費高く交渉の結果、敷地内にいくつか 立ち並ぶ宿舎の建物のうちの一つ玄関横の管理人室宛がわれ、その窓からぼんやりと外を眺めていたら、当時『女性自身』や『女性セブン』などの世界の奇怪シ リーズなどに出てきていた中国の多毛児君が母親らしき女性と歩いているのを看る。閑話休題。司馬台の長城は、いくつかある観光客に「開放」された長城のう ち最も歴史浅く開発も進まず長年の風雪に荒れ果てた原状維持するもの、と。訪れてみればケーブルカーこそあるものの長城を歩く観光客など数えても50名お るかおらぬかという閑散とした様にて秋の晴天に遠くまで長城が山の稜線を這ふ様誠に見事。観光の客の数と同じほど地元の物売りの衆おり長城の稜線を歩く我 々に纏わりつき絵葉書、写真集の類を売ろうとしつつ観光ガイド。その随行の多さは那須岳にお登りになる皇太子殿下並に雅子妃殿下の如し。受け答えでもしよ うものなら最後にガイド料でもせがまれてはたまらぬと相手にせず。しかしながら英語達者にて平日のこの時間にこの長城の頂におっては学校など行っておらぬ 少年だろうが "How many days have you ever been in China?" などと少なくても北京飯店に投宿する我が同胞の高校生の輩よか流暢に語るを聞き、教育、否、学習とは学校など制度や組織にあらず中身にあると痛感。登る時 気がつかずながら麓に「愛国主義教育基地」なる石碑。本来、共産党政府であれば封建王朝が人民を搾取し強制労働にて建造せし遺物であるはずの長城も、この 偉大なる建造を愛国主義教育のための象徴とすること可笑し。午後も二時となるとすでに薄暮。長城を下り平野の彼方に沈むまことに大きな夕陽を眺めつつ北京 に戻る。ツアーのお決まりにて「長城見学」であるのに何故か(というか当然か)市内に戻り漢方薬局での買い物なるものが付いており、そこでの客の買い物代 のうち幾らかがガイドと運転手氏のバックマージンとなること明白、申し訳ないがそういった買物に興味なく而も時間もなく拒絶するとガイド氏、通常は頑なに 買物を勧めるものの彼は多少困った表情しつつあっさりと認め、市内に入れば何処からでもタクシーにてホテルに戻るという我々に高速道路から下りた三元橋で 「ホテルまで送れず申し訳ない」とタクシー代三十元まで宛がわれ恐縮、深謝。件(くだん)のロスアンジェルス君昼間は調子よかったがケーブルカー使わず登 坂し体力消耗したか風邪気味にてホテルに急ぎ戻りたしと求めホテルが北京飯店に近き台湾飯店ゆえ送ってくれとガイド氏に頼まれZ嬢と三人で三元橋よりタク シーに乗れば機転の利いた運転手にて上手い具合に混雑した道を避けていい意味で市街を右往左往、渋滞激しき午後六時代に二十分ほどにて三元橋より王府井。 途中、渋滞する対向車線よりはみ出し対面よりパトカーに先導され走って来る自動車あり。党幹部、ドクトルジバコの世界。晩に明後日三年余の北京生活より東 京に戻るU嬢と会い建国街の某中華にて会食。風邪ひき発熱、悪寒甚だし。