富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月二十日(日)薄曇。気温10度を下回る。北京マラソン。昨年に引き続きハーフマラソンに参加。天 安門広場より西長安街、復興門、阜成門南、気温多少上がるを期待するが空に雲立ち込めて体温あがり汗かいても鳥肌がたつほどの寒さのなか月壇北街の閑静な 団地より釣魚台国賓館の角をまがり阜成路、水上バスがゆっくりと走るのを眺めながら龍雁南路を北上し北四環西路、このあたりになると北京ももう郊外、万泉 河路よりまた市街に戻り海淀南路にて終点。丁度二時間。終点にてはゲート潜って5mほどの処でゼッケン番号の確認をたった二人のスタッフがしておりゲート 手前100mから長蛇の列。10kmレースのゴールでの応援より来るというZ嬢待つ。身体は火照っていても汗止めの濡れた手拭い頭よりとるととたんに冷た くなり寒気を知る。人口一千万に及ぶのか、その交通手段を殆ど車両交通に委ねる北京において日曜日とはいえ市街地の幹線道路を西から西北、北へと遮断して は渋滞著し。さすがに数万人が群がって走る10kmまでの朝のうちはよかったがハーフとなると渋滞で苛立った運転手たちの警笛も甚だし。Z嬢とタクシーに て王府井に戻りホテルに戻る前に灯市口は餃子大王。ホテルに今日の午後の香港の競馬の馬券、携帯にて購入。何故に香港競馬の携帯での購入、大陸から出来る のか不思議ながら、その客を目的としたサービスか納得。新街口。洗澡。夜六時に天安門広場人民英雄記念碑にて香港からのマラソン参加の面々で集合。歴史博 物館の上に十四夜の見事な月。権力は歴史を支配するといふが国家の首都の中心、人民大会堂と対峙する歴史博物館。権力が過去の歴史を語ることは日本書記の 昔から、それにしても建国間もない共産党がこの位置に歴史博物館を置いたことの意義こそ共産主義政府がいかに独裁に専心したかを物語る。ふと思うは東京に て東京に国立歴史博物館をもたず、それが権力から措かれた大阪にあることは興味深し。過去の歴史を蓄える歴博の向かいは人民大会堂ながら、ここも歴博が作 られた過去なら人民大会堂は作られた現実、なぜなら体面上は国家の最高決議機関でありながら実質のそれは人民代会堂の北に位置する中南海にあるのだから。 その中心に人民英雄記念碑が聳える。厳重に監視された碑は革命に命を堕とした人民を祀るものながら実際には多くの生命が反右派闘争、文化大革命天安門事 件にて亡くなったと思うと、この権力がこの碑をどうしてここまで警備し崇め奉るのか、いろいろな意味。英雄讃美に非ず、鎮魂以外の何ものでもなし。そして この広場にていま当局が最も恐れるは法輪功。どうみても私服警官か軍人とわかる厳しい目つきの男たちが碑の周りを徘徊。南に毛沢東記念堂。その向かいにあ る清真の東来順飯荘にて羊肉鍋。身体暖まり店を一歩でれば寒風吹き荒び身体凍るほどにて走ったあともけして痛みもなかった大腿の関節と筋肉が攣るほど。今 晩こそ三里屯で一飮とも思っていたがタクシー乗場まで歩くも辛くホテルに直ぐ戻り熱い風呂に飛び込み爆睡。