富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十九日(土)薄曇。朝、上環の波止場より噴射船にて珠江河口を滑り一時間余にて深セン福永港。送 迎バスにて深セン空港。予想以上に大きなターミナル2をもつ空港にて各地への便頻繁、喧騒甚だしきものの中国南方航空のみターミナル1にて午前に僅か4本 の出発のみにて秋田空港的な閑散に安堵。中国の国内線とタカをくくっていれば搭乗者の身体検査は靴まで赤外線を通し裸足にて貴金属探知の門を潜らせる。機 内持ち込みで取上げられるを恐れ予め爪切りまで預け荷物に隠すがゾーリンゲンの爪ヤスリは仕舞い忘れ、それでも身体検査に比べ荷物検査かなり粗雑にて「凶 器」は発見されず。イスラム系テロを米国とはまた違う意味で恐れる中国。それにしても凶器武器爆弾には神経質な中国も赤外線にて透視する手提げの中にある 蘋果日報や信報など「反中央政府」系の新聞には目を光らせず。北京への機内にて数日分の新聞読み明日の競馬予想。フランスよりDoleuze参戦、沙田錦 標(G3)芝1600mは二年連続このレースをその季の初戦として続けて三位の原居民(九歳!)Doleuze騎乗。Grand Delight(Dye/Size)に期待。W氏の新力軍はちょっと期待薄。R8芝1000m(一班)C氏の多利高は前走よくどうにか入賞期待で本命は好 望角。ほかR5の鑚石、R7の東方明珠など好馬多く観戦できぬのは辛いところ。宮本輝『蛍川』読む。この芥川賞受賞作、個人的には『道頓堀川』『泥の河』 に比べあまり面白くなし。北京に到着、摂氏11度。27度の香港よりわずか三時間余。タクシーで三元橋の中国国際旅行社の事務所にて明日のレースの手続 き。待たせていたタクシーで北京飯店に投宿。新装なった正面玄関とロビー。曾ての薄暗いロビー、20年もまえに冷たい水飲みたさに入ろうとして薄汚いバッ クパッカーである余はドアマンに睨まれ、97年だか朝の6時に広州からの列車で到着した時のフロントで夜勤の職員が椅子を並べて大蒜臭い鼾で寝ていた頃な どを回顧。部屋は15階の故宮Viewにて部屋からもちろん景山から故宮天安門広場を見渡す。黄昏に王府井にて水、旬の甘栗、酒(老北京)、地図など買 出し。晩は北京飯店ロビーにてランニングクラブの面々と待合わせタクシーにて前門。前門の大通りを日本からの修学旅行生、多少ガラの悪い男子高のガクラン 連中が御練りの如く歩き北京の者はまだ見慣れている風景かも知れぬが田舎からのお上りさん多き前門にあっては、その異様な若者の一行に道を開け「なんだ、 これは?」「軍隊じゃないよ、日本の高中の学生だってさ」とひそひそ話。そんな話をされているとも知らぬガクラン君たちは北京考鴨にて馳名の全聚徳の樓上 へ。世の分別も知らぬ高校生の若輩どもに全聚徳は不相応。大学の頃にも余は全聚徳など敷居高くカネもなく繁華街の宿舎には泊まれもせず今では北京南站と名 を変えた永定門站そばの安宿に泊まり界隈の安い飯屋にて茄子炒めでぬるい麦酒を飲んでいたもの。都一処にて燒麦(包子)堪能。包子も美味いが郭沫若の揮毫 「都一處」を眺めるだけでも至福。さすがに明日のレースあり三里屯に飲みに行くわけにも行かず。インターネットはモデムで北京のポイント混雑続きアクセス できずマカオ経由。