富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十三日(日)有志十名ほどにて大嶼山は梅窩より大東山869m登る。東京(とうけい)より眺め西 の富士、東の筑波と並び称される筑波山、今でも晴れた日など首都の超高層ビルより、明治の頃なら王子の飛鳥山より眺められたといわれれば関東平野に聳える やうに見え仰々しくも登坂電車や架空纜車などにて頂に至るほどにて筑波神社の境内から歩いて歩れといわれれれば多少物怖じするが標高876m、それに比れ ば梅窩の港から一気に大東山に登るほうが険しきところ、梅窩を出でてけして急がずとも一時間半余にて登りつめ晝に東涌の峠へに到るも山歩きの訓練にてとて もかつて筑波に登ったような気概もなし。我は歩き始めれば途端に大汗が流れ気候はけして暑くもなく山に上って気温下がっても小休止しても汗止まず靴の中 ぐっしょりと水堪るほどにて当然体力消耗も甚だしく救急用にと携帯するアミノギア一飲しそれでも回復せず。アミノギアと いへばGoogleにてこのカタカナ名にて余の曾ての日記も含め僅 か二件しか架からず(もう一件は香港日本人倶楽部のドラゴンボートのサイトのエッセイ)つまりアミノギアという語 は香港の運動する邦人だけしか知らぬ?と思い査べれば香港にては味の素のかなり有名な製品 ながら発売は香港だけらしきこと識る。閑話休題、東涌の峠にて 後続待ち憇みいくらか疲労感は抜けたが汗止まらず梅窩に戻り波止場にて麦酒で喉を潤し食事する一行と別れバスで東涌。秋の連休の行楽日和か寶蓮禅寺の大仏 に参る衆バスに並ぶ列はまさに数珠つなぎ、地下鉄站前の広場にまで到る寸前。蒸風呂に浴し一憩、夕方Z嬢と九龍湾にて待ちあわせ牛頭角下邨の公共団地。い わゆる難民アパートから脱しマクルホース総督の時代に出来た公共住宅の初期の型にて各部屋には小さなバルコニーの両側に狭い便所兼シャワーと流し、あり。 九龍の新興地にかなり大規模に建設されたが老朽ひどく楽富、長沙湾などを皮切りに最近も黄大仙のこの型の団地取り壊されこの牛頭角などもはや遺跡の如く旧 来の型を留めるがここも来年から部分的に取壊し始まる予定にてテレビにて曾てのドラマ『獅子山下』など再放映されたこともあり最近の懐古ブームからか香港 政府でもリストラされるであろう香港房屋委員会が 後援しこの団地の一角にて牛頭角邨街坊 懐舊展なるもの開かれており、団地にある古くからの肆や住宅の骨董品の如き家具や道具など展示するを見学。喧騒のなか団地の下には小さな肆々が並 び賑わい上海豆腐の悪臭が漂い公園には老人が憩い建物に囲まれた狭い運動場少年たちが蹴球だの籠球に熱中する、ごくありふれた超密集団地の光景ながら数年 後にはここも「きれいな」団地になるはず。図々しくも建物の通路、古き便所、通路など写真に撮る。横丁の飯屋のおかずにかなり後ろ髪ひかれつつバスで観 塘。崇仁街の雲南風味にて晩餐。豚耳、四季豆、涼拌豆腐、鴨腎の四皿にて麦酒五本飲み紅油抄手、上湯昆飩(雲呑)に茄醤米線、でHK$173。今日の乗物 にて荷風『日和下駄』読み夜更けて続けて読む。