富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十二日(土)遠く拙宅より飛鵝山どころか遠く馬鞍山と思われる岳まで見渡せる秋空。愚猫数日前の 予防接種にて左上の犬歯(というのか猫でも)折れていること判り、さういへばここ半月ばかり数日機嫌悪くZ嬢に噛みついてみたり引掻いてみたりの悪態あ り、昨日Z嬢が愚猫をミッドレベルの主治医の処につれてゆき、それの迎えに今朝出向く。競馬の予想のための準備済ませ晝前にMount Parker Rdを登り大譚水塘まで走り下り大譚西引水路約3km走る。すっかり曇り空となり海岸にてラジオの中継聴きながら競馬。久々にじっくりと予想紙眺めそこそ この的中。R8日本中央競馬会錦標(二班芝1400m)今季調子良さそうな吉利大少(Size/Dye)にするが侵略と星運爵士と父Danehill馬で 一、二着。メインのR9(一班芝1600m)は北金烈馬(洲/Whyte)で獲るが昨シーズン末の二連勝に続き今季初レースも強さ見せ三連勝。吉利大少も 北金烈馬も昨季末で引退した王登平調教師の育てた馬。肖其湾の街市にて秋めいて柿購い帰宅して湯豆腐。愚猫精神不安定続く。『断腸亭の経済学』続き読む。
琉球伊波普猷をもとに暴力と危機の問題を考察する冨山一郎『暴力の予感』(岩波)これじたいも面白そう だが週刊読書人でこれの書評(沖田中康博氏・沖縄国際大学社会学)実にいい文章。さわりだけ引用すると、<帝国>の語りが圧倒的な力で私たちの日常生活を 構成し、言説の外側を想像することがますます困難な時代に私たちは生きている。さらに、暴力がありふれたものとなる一方で、自らは暴力の彼岸にいると思い 込ませる言説装置もまた一般的なものとなりつつある。見知らぬ他者が直接暴力を被るどこか遠い土地。テレビの画面を通してそれを視る私たちがいる場所。明 確に区分けされた地政学的な構図が、暴力が行使される場面を<非日常>に囲い込み、私たちを<日常>の場へと安住させる。……と「本書が置かれているコン テクストをさしあたってそのようなものとして捉えることが可能だろう」とさらりと書評の導入にしているのだが、キョービの世界をこれほど端的に表現する例 は稀。
▼新聞(蘋果)一面に、香港に住む夫のもとを雙程來港証もち訪れていた所謂大陸妻、生活難と二人の子供の学 費稼ぎにと私娼として街に企ち客をつかみ連込宿に入ったものの良心の呵責あり淫売は避けたきものの入用はありと客が一交を前にシャワー浴びるすきに客の財 布の入ったズボン持って逃げ去るが四日後にふと料理屋にてこの女と客が出くわし男は警察を呼び女逮捕されるが貧困ゆえの淫売にて公判にも幼き子が母に縋る 姿は見るも哀れ、と。貧困ゆえか奢侈目当てか知らぬが近頃、街に企つ私娼の数余多その増すこと極み知らぬは昭和10年頃の銀座の如し。殊に公園に日がな憩 う中高年相手のそこそこの齢の私娼多く、手交百元、口二百、肉弾戦三百元と数カ月前にこの日剩に綴りたるがさらに減価と価格破壊凄まじく牛丼屋なみ、と。