富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月二日(水)曇。早朝、小宮豊隆中村吉右衛門』(岩波現代文 庫)読み始める。とくに「中村吉右衛門論」は明治44年に書かれたもので豊隆弱冠27歳。明治にこのような一人の役者の評論がなされたということは驚き。 しかも吉右衛門が九代目団十郎の薫陶により(これは私は個人的にはそんな素晴らしいこととは思えないが)「型」の歌舞伎に「心」を持ち込んだ近代の役者な ら豊隆もまた『演劇画報』に代表されるそれまでの芝居見物評を批評と「しようとした」人。黄昏てジム。晩に「中村吉右衛門論」の続き読み思ったが、(朝の 記述に続き)だが、問題は吉右衛門を讃めるために播磨屋と並んで当時の若手の花形である六代目(菊五郎)は「菊五郎の芸には抑揚はあっても極まり処は的確 に極まっても緊張感にムラがあって高潮を経験することは出来ない」とか一つ上の世代で円熟してきた十五代目(羽左衛門)までを否定することで吉右衛門の良 さを引き出すという、批評においての「他を否定することで良さを見せる」といふ禁じ手がふんだんに使われてしまった。そして「吉右衛門が今後の努力は哲学 と芸術と宗教を合して太初以来また永久にわたりて消滅せざる人類の最初にして最後の問題に触れていく点にある」と、弱冠27歳はそこまで言う。しかもこの 吉右衛門論を読むと大成した天才役者に捧げた文のようであるが実は播磨屋は豊隆より一歳年下でまだ若手。だから「今後の努力は」なんて書かれてしまうわけ だけれど、吉右衛門を例えば若き日のアーサー・C. クラークであるとか大野一雄であるとか誰を置いてもこの文章は生きてしまう。ということは吉右衛門のことを書いているようでいてこれは実は批評文の習作で あったりもする。そうやって読んでみると、この「中村吉右衛門論」は批評の体裁をとっているが批評とはいへまひ。確かに吉右衛門が優れた役者であるにして も正直いって「まだそこまで讃めるには……」というのが実際じゃないのか。それじゃなんでそこまで豊隆が讃めるのか、吉右衛門という役者に惚れているのか しら。客観的になど見えていない。舞台で見る吉右衛門は完ぺきであり豊隆にとっては拝みたいほど。その心境で書いたのがこの「中村吉右衛門論」といふファ ンレターかもしれない。ところで、豊隆も言及しているが吉右衛門は(……とここまで書いていてふと思った が誤解がないように書いておくと(歌舞伎など珍紛漢紛の方も多かろう)ここで述べている吉右衛門というのは鬼平犯科帳でお馴染の吉右衛門(二代目)では当 然なくて二代目の祖父であり義父にあたる先代の吉右衛門(1888-1954)のことである、念のため)「吉 右衛門の芸の範囲は狭いと言う者がある」そうで(私だって実際に先代を見たことがないから知らないが)私が子供の頃から思っていたのは吉右衛門の有名な役 の数々を写真で見る機会が多く(写真が今でもよく使われる点では六代目であるとか先代之成田屋などより群 を抜いている)有名な熊谷直実であるとか佐々木盛綱(こ れは現吉右衛門が小四郎役で吉右衛門の盛綱と映っていることでも有名な写真)とかどの役の写真を見ても 「あ、先代の吉右衛門だ」とすぐに合点するほどこの人の表情は、どの役を演っても吉右衛門吉右衛門ということ。たとえば沢瀉屋が忠信を演ったにしても宙 乗りなどあれだけ個性の強い沢瀉屋だとて写真を見た時に「あ、猿之助だ」と思う前にまずは「四の切だ、狐忠信だ」と思って、そして沢瀉屋だと思う。なぜか といえば同じ猿之助鮨屋で権太を演ると忠信とは違った権太の表情を見せるからである。が吉右衛門は何を演じてもまず吉右衛門。それを凄いと感動するのか (豊隆は間違いなくそうだった)ちょっと役者としては面白みに欠ける、と見るか、人それぞれ。ふと思えば当代の播磨屋も祖父であり義父のこの先代のそう いったものをちゃんと継承しているのか、この役者もどの役をやっても「播磨屋だなぁ、この演技」と勿論巧いのだがすごい個性を見せる。顔もどの写真を見て も当然いつもの播磨屋の顔を見せる。余談だが、だから播磨屋の芝居となると観客席に強烈な播磨屋フリーク少なからず芝居の間ずっと「はぁりまや〜っ・・」 と魘されたように呟き続けるご婦人客がおり周囲の客が迷惑を被るのだが……。話は余談に逸れたが、いずれにしてもこの豊隆の「吉右衛門論」は明治44年、 明治が終わる前年だもの、当時、ファンレターか批評かわからないけれども、こういった<近代の文>で以て書かれただけでも画期的なこと、そういうことであ る。だいたいにおいて劇聖といわれた九代目とか名優の誉れ高い六代目であるとか、役者としてどれくらい優れていてもこういった本が上梓されるのはそれが吉 右衛門という人だったから。吉右衛門のあとには、そういった扱われ方、つまり役者というより批評の対象として「思わせぶり」がニンである役者(……なんの こっちゃ?)は「中村保にとっ ての」歌右衛門ただ一人しかいないだろう。
▼自由と平等を唱える彼の国において本日より15カ国がテロリスクありと いう理由で入境の際に指紋押捺や写真提示などの措置受ける。多くはアラブ、モスリムの国家にて伊蘭、伊拉克、利比亜、蘇丹、叙利亜、沙特阿拉伯、阿富汗、也門、埃及、索馬里、巴基斯擔坦、印度尼西亜、馬來西亞、 それにブレイク中の北朝鮮と 彼の国の古典的冷戦対峙国・古巴と なる。この短絡的な対テロ偏見と人権侵害。呆れるばかり。この国名にリンクさせたCIAに よる各国情報は本当にタメになるもので一読の価値あり、つまり二度読む価値はなし。とくに各国情報に書かれた巻頭のbackgroundは米国がその国に 対する正直な理解であり、そういったものを羞ずかし気も迷いもなく露出できるのが良くも悪しくも米国という国の浅はかさ(あ、讃めてないか……笑)。ちな みに同盟国・日本は
日本は由緒ある文化を維持しつつ19世紀後半から20世紀初頭にかけて西 欧のテクノロジーを迅速に取り入れた。第二次世界大戦での敗戦ののち日本は世界で二番目に最強なる経済体として復活し、合州国の忠実なる同盟国 (staunch ally)となった。天皇は国家統合の象徴として君臨し、実際の権力は政治家、官僚と財界の強力なネットワークにある。経済は30年間に及ぶ急成長を経て 90年代に大きな低迷を迎えた。
と極めて現実的によく纏めてある(明治以来の「文明開化」で日本は西欧の政経、文化に到るまで諸般取り入れ血と肉としたつもりでいるが、それが実はテクノロジーだ けである、つまり上辺だけ、と認識されている事実!)。そして自国もちゃんと各国情報の一つに掲載してお り、合州 国は
英国のアメリカ植民地は1776年に母国と袂を分かち1783年のパリ条 約によりアメリカ合衆国なる新しい国家として認証された。19世紀から20世紀にかけて元来の13州に北アメリカ大陸を跨ぐ拡大と海外占有地の獲得により 37の新しい州が加わった。国の歴史のなかで最も痛ましい二つの経験は1861年から65年にかけての内戦(南北戦争)と30年代の大恐慌である。二つの 世界大戦での勝利と91年の冷戦の終結により合州国は世界で最強の国家となった。失業率とインフレの低さ、テクノロジーの迅速なる発展により経済は順調に 成長を続けている。
手前味噌とはまさに此なり。テクノロジーのバブルも弾け21世紀を迎え経 済は低迷を始めたが自国のディテールについてはアップデートしておらず(笑)。一読すればわかる通り、原住民の命と土地を略奪し建設されたこの国家にとっ て最も痛ましきことは正義の名の下に世界に軍事介入し無実の民を殺戮せしことながら当然それも理解できず。当たり前か。