富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十九日(木)快晴。青空に折からの商風にて大気澄み渡り遠き山々まで眺望佳。黄昏にA氏と銅鑼湾Excelsior Hotelの頂上階のバーTott'sにて一飲。A氏肴所望すれば印度料理ばかりにて注文せし羊肉薫製をのせたナン期待せずのはずが絶品にてこのバーのインド人シェフ佳し。南條武則『恐怖の黄金時代』(集英社新書)読む。英国の前世紀末からの恐怖小説にはかなり興味あれどこの本はその作家紹介にて一切当時の作品読んだこともなき者には作家に興味もつも難し。大正末から昭和にかけてそういった怪奇譚を日本にて乱歩、足穂が読んでいたことを知り妙に納得。
▼失態続きたる外務省この北朝鮮との外交交渉にて多少なりとは汚名返上し外交弱き日本国の国辱返上を期待せすものを日本人拉致問題にては一昨日、北朝鮮側の発表に従い「すでに死亡」と発表。裏付け証拠、根拠もないどころかその死亡の日時すらわからぬままの状態で死亡を鵜呑みにするのか?と「日本政府に対し」疑問の声あがりたれば政府本日になり死亡日時は小泉訪朝の同日に入手していたことを認め本日遺族に電話にて伝える。安倍官房副長官の記者会見まさに「しどろもどろ」とはこれを指すのかと痛感するほどの狼狽ぶりにて死亡日時未公表とすることなど責任の所在を「アジア局が」「アジア局が」と終始逃げの答弁。幼児の如し。実際に決定したのはアジア局であれ議院内閣制をとるわが国において官僚が為す事は内閣総理大臣の責任にて、かりに「アジア局」の独断とすれば寧ろその独断を赦した政府にこそ監督責任の問題あり。首相小泉君も取材に応えるがどうして死亡日時が公開されなかったのか?という質問に「家族の立場ってものがあるでしょう……ショックの大きさとか」と全く意味もなさぬ答弁。具体的な証拠も日時もなきまま首相訪朝当日の夕に「死亡」とのみ福田官房長官から伝えられることのほうがよっぽどショックは大きいであろうし、家族の立場がないなど寧ろ拉致問題がこれだけ放置されてきたことではないか。灯刻に事実確認のため急遽総理官邸に喚ばれた外務省アジア局長田中某氏の表情にも一昨日のあの晴れがましき自信と欣喜至極は失せ、ただ蒼惶としたる様。遺族の一人曰く「あの国(北朝鮮)というのは今回はおカネがほしいから、いつも外交は練りに練って絶対に自分の国が有利になるように進めるんです。それを相手に相手の言ったことだけを信じて……」とまさに御意。日本の主権国たる米国、偉大なる中国に対してばかりか「悪の枢軸」相手にもConstitutionなきを露見させる有り様。拉致されし自らの国民の死亡の有無についても裏づけすらとれぬまま死亡と発表し、それを板倉公館にて遺族に伝える副外相は悲しみに涙していた、と。事実などどこかに封印され政府公式発表が全ての「悪の枢軸」の彼の国ですらここまで政府発表を信じる閣僚などおらず(嗤)。