富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月四日(水)晴。灣仔のQ麥にて坦々麺と清湯抄手食し散歩して快活谷での競馬開幕。荒れたわけでないが全七場全く擦りもせず。香港競馬の有名人譚先生の生立ちからの特集記事がSCMP紙に。馬場に行けば当然譚先生健在にてそれだけでいいのに譚先生にパドック周辺の仲間と思われているようで気軽に声かけられる光栄。昨季活力太太とともにふざけて譚先生のサインを頂戴したのが災いしたか(笑)。譚先生にR7にて馬偉昌の多橋を買うよう勧められる(結果的には三着ながら昨季全く振るわなかった馬にて三着も見事)。それに先立つR6はAmerican Club Cupにて飛鷹、鑽石など三班ではかなりいい馬が出ていたが結果的にはDanehill子の星運爵士(馬偉昌)が快勝。
▼経済紙『信報』の予測によれば日本の株価低迷は来年第一から第二四半期まで続く、と。9,000円は割るのであろう。ただし朝日新聞一面トップは北朝鮮と首脳交渉。この最安値は予想以上に小さな扱いで「もう今更驚かぬ」不感症か。十数年もこれじゃねぇ。South China Morning Post紙は「Nikkei18年の最安値に香港や欧州が苦慮」と見出しの記事を一面に。日本は日本の株価は日本のみならず世界でどれだけ重要なファクターであるか(「あったか」が正しいのか)わかっているのか。迷惑をかけているのだ、世界中に。
荷風日記読めば昭和九年の或日に歌舞伎役者の素行を嘆く下りあり実名にて福助慶應出の若者某と浮き名と。昭和九年の福助といへばつまり大旦那か、まさか父親の五代目歌右衛門のわけもなく、いや待てよ、さういへば大旦那には若くして亡くなった「兄」の五代目福助がおり、それか、と築地H君と憶測。ただしよくよく調べてみれば五代目福助は昭和八年に亡くなっており翌九年に大旦那が児太郎から六代目福助を襲名しており、この荷風日記の福助は若き日の大旦那といふことに。それにしても大旦那は当時未だ17才の若女形。それで荷風が卑下するほどの浮き名とはさすが名優。ちなみに才能溢れる五代目福助が惜しまれつつ他界したあとのこの大旦那の六代目福助襲名で五代目福助の長男つまり芝翫が児太郎を襲名している。この襲名披露公演は名優五代目歌右衛門が精魂込めた襲名披露となり襲名披露狂言ではこの六代目福助が『絵本太功記』で初菊を勤めワキを固めるは光秀に七代目幸四郎、十次郎に六代目菊五郎、操に六代目梅幸、皐月に六代目友右衛門、久吉に初代吉右衛門、正清に六代目彦三郎といふ絶世の豪華な顔触れ。襲名口上では最愛の息子を失った五代目歌右衛門に同情が集まり見物の客の涙を誘った、といふ。この若き福助の浮き名、今なら野暮な芸能マスコミの格好の餌食ながら若き女形の芸の肥やしと許容されたのが風情といふものか。昭和の名女形の誕生もかうして兄の若死と父である五代目の後盾あってのこと。それがなければ名が役者を作ると思へばこの若き児太郎がその後どのような人生を送っていたかを想像するもまたをかし。