富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月三日(火)曇。宵の口ジムにて外を見れば驟雨。日本の株価はバブル期以降の最安値を記録。バブル崩壊し10余年何も改善されぬばかりか企業の相次ぐ不祥事。暗澹たる日本はその陥る淵の底の深さを知らず。自虐史観の歴史の見直しだの国旗国歌だの指導要領抜本的改正だの個人情報保護法だの住基ネットだの防衛だのといふまえに、いったい自らの国家と国民のいったい何に欠陥があるのか殊更自虐的に自己を見つけては如何か。世界がどのように動いているのかキョロキョロしているものの言葉もわからぬから孤児となりかつての勤勉さで得た貯えあれば憂いもなく平和ボケ、みずからConstitutionをもたず抜本的改革もせぬまま「小泉さんなら」と淡い期待をかけ停滞した時代で独り息巻く石原の主張を弟裕次郎と重ねただスター願望で期待する。靖国神社に参拝する石原を「イシハラーッ」と応援する右翼青年たち。石原も石原でそこで「年長者に向って呼び捨てとは何事だ、この無礼者!」と一喝せぬところがいやらしい。もう高度経済成長は終わっている、というのに未だに長嶋、猪木に何かを求める。全く理解できず。田中秀征氏は長野県知事選のインタビューで長野モデルを見ればわかるように間違いなくこれから二、三年で日本の政治は変わる、と言うが。変わるのはいいがこれ以上悪いほうに変わりゃせぬか。その時は<東アジア反日武装戦線>の結成でもしたろ、か。
▼首相小泉君環境開発サミット出席のため南アフリカに向かう途中「飛行機の給油」で香港に立ち寄る。このわずか三時間の間に金鐘・海都海鮮酒家訪れカニ(おそらくこの季節、黄油蟹か)に舌鼓を打ったそうだが「3テーブルを予約」「数十人の警備要員とともに貴賓用個室6部屋を独占」し小泉君は笑顔で他の客に手を振り上機嫌だったそうだが「お勘定はHK$20〜30K(約30〜45万円)」。南アフリカに向う途中での飛行機ならぬ首相自らの給油は<鮫脳味噌>首相以来。南アフリカまで政府機の燃料がもたぬにしても日本からわずか数時間の香港で給油せずともパキスタンにでも立ちより工業化開発と環境汚染の問題でも学習しては如何か。給油どころか珍味食して油を売っていたのだが確かに黄「油」蟹食せば給油か。
▼田中外相の外務省騒動(序盤)で経済担当の審議官から棚ぼた式に事務次官に抜擢されたものの終盤で田中外相と差し違え外相と共にその職から更迭された野上氏が英国公使に。通常、公使は局長級の海外役職にて英国大使ならまだしも公使とは降格人事。外務省官僚の期待を一身に受けて田中外相辞任に追い込む修羅場を潜った氏にこれは屈辱的な「受勲」だろうに。ちなみに会談内容のリークやホテル騒動などあった田中外相の北京訪問からかなり外相におちょくられ揶揄された当時のアジア局長(写真週刊誌で北のスパイと噂される女性との焼肉屋デートがフォーカスされた)はシンガポール「大使」に一応の栄転にて、この差もよくわからず。
長野県知事選を勝谷誠彦氏が見事に分析。さすが。(以下、勝谷誠彦日記より引用)
文化放送』「チャレンジ梶原放送局」に下崎保県政団長が登場。いきなり私は耳を疑った。団長はおっしゃる。「いやいやあの先の選挙というか前吉村知事と田中さんの選挙の時…」。前回田中康夫さんが奇跡のように破った相手は池田という前副知事ですよね。揚げ足をとろうというのではない。おそらく下崎さんの中ではこれが真実なのだ。しきりに彼は「個人に擁立された長谷川候補を個人の資格で応援した」と強調する。あるいはそれも真実なのかもとすら私は思うのである。県政団という政党すら実は幻影に過ぎない。つまりは「吉村知事」だったのだ。知事公舎に馬を飼って職員に世話をさせ姓名判断に血道をあげる女房のせいで県幹部が争って改名するような知事に「知事様におかれまては」と御前会議を繰り返し利権のおこぼれを分配していた長野県議たちは要するのその世界を護りたかったわけであり前回の池田も今回も長谷川もそのための道具以外の何物でもなかったのだ。
テレビのニュースにて康夫チャン不信任に賛成した88歳!の県議「不信任決議の責任をとる」と辞職したが荷物を片づけながら「36年前は志に燃えたが長年続けるうちに……」と懐古。報道によるとこの小田切氏は選挙結果について「不信任に対する県民の批判は否定できない」と語り「県議会は勉強して政策集団になるべきだ。田中知事には大きな視野を持って周囲と接して欲しい」と話した、といふ。県議会が知事の取巻き利権集団となっていたとする勝谷分析をまさに裏打ちするようなこの長老の反省と提言。
▼日本人のオジサンたちが泣かずには見れぬ<プロジェクトX>、あの「その時、大越は思った、絶対に一カ月で完成させてやる」の、あのナレーションのぶつ切りの文体とあの平坦な口調、どうにかならぬか。朴訥を装うわざとらしさ。しかもNHKでCMないのに「一カ月で完成させてやる」のあとに「プロジェクトXxxxxxx!」という効果音。ワープロの誕生にまつわる東芝の物語見ながら初めて富士通のオアシスLiteなるラップトップのワープロ富士通のオアシスについては生みの親神田氏のサイトは親指シフトキーなど含めかなり貴重な記録あり)を購った時からもう二旬近くなることを彷彿。当時、大学にもまだワープロない時代に卒論をワープロ打ちで提出した最初の学生(私)。このワープロ打ち卒論を本人の卒論と認めるか認めないかで教務担当の教員が会議したと卒業間際に知らされる。安部公房ワープロで小説を打っただけで話題になった時代。ワープロは今ではパソコンの一部となり生き残るが、ふと今日の新聞にガリ版謄写版)を開発したホリイ(東京都、資本金9,600万円)が二度目の不渡りを出して、事実上倒産、と。小学校の学級新聞から大学での学生運動まで何枚の謄写原紙を削ったことか。あのガリ版がこのホリイなる会社の発明で独占企業だったとは倒産の今日まで知らず。ガリ版が今日まで生き残っていたこともルービンシュタインが他界したと信じていたようなもの。