富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月二日(月)曇。冷房にやられたのか熱も出ないが昨晩は寝ていても脚の冷えで目が覚めるほどにて、子供の頃は裸足でも脚が火照るほどにて廊下や夏であるから掘り炬燵の底に敷いた板のひんりとした感じが心地よかったものだが、祖母が夏でも毛糸の靴下履き「脚が冷える、冷える」と言っていたのが不思議でたまらなかったのに、今になりあの冷えた感じが靴下を履いたくらいでは治まるものでない不快な悪寒であることを知る。直に帰宅する途中C医師の診断を乞ふ。休養せよと医者にいわれれると坐っていればできること多く競馬予想し『優駿』読み石川淳訳のジイド『背徳者』の残り半分読了。『背徳者』すでに川口篤訳(岩波文庫)にて読んでいたが会話の活力は川口訳がよく、地の文の毅然とした感じはやはり石川淳。総て読みやすさとテンポは川口訳かなぁ。築地のH君と「なぜ知識人の書く平易な文章といふのは単語こそ易しく平仮名多いが内容は読み難いのか」という話題となる。高名な学者であるとかノーベル賞作家の某であるとか有斐閣から出ている学術書は言葉こそ難解だが文意の理解容易にて作家の綴る小説ならカッタルければ読み飛ばすことも可なり。それに比べこれらの御仁の新聞にお書きになる随筆など何度か読み返して漸く文意を得たり。言葉を平易にしつつ内容の正確さ緻密さ維持する分まわりくどい表現になるのか、とH君。ただし加藤周一であるとか吉田秀和の両巨頭ともなると別格にて易しい言葉とわかりやすき文章で難しいことを表現。同時代を生きてきた読者の多くが鬼籍に入る高齢ながら矍鑠と文章を綴りその明晰は惚けることを知らず。両巨頭の随筆は朝日の二枚看板ながら余りに筆が立ち後学に紙面を譲る気配もなく(それに値する後学がおらぬのも現実か)それに新聞社側から両巨頭に連載中止を乞ふことなど言語道断つまりお二人が存命で筆動くうちは永く続く、といふことか。どちらの連載が永く続くかなどと察することは不謹慎甚だし。それにしてもこの小説これがいま書かれたら主人公はカネでアルジェの少年たちを玩ぶ変態にてアルジェの子供たちは不平等の下で人権蹂躙され……と。さういふ健全主義の風潮に同調もできぬがかといつてジイドのこの耽美なるノリに共鳴もせず。書斎の虫が地中海の光を浴び精神の解放と肉体の躍動を知るといつても「それがどうしたねん?」と思つてしまふ我に文学のセンス乏しく同じ主題でも「もっとウソっぽい」三島由紀夫のほうがどうせならデフレ気味で好しとするか。
▼『香港ポスト』誌に銅鑼灣・益新飯店の広告ありお勧めメニューに「カニと豚ミンチ肉のオープン焼き」「揚げ鷄のレモンソースがけ」「エビの牛乳入り卵白炒め」「川魚の揚げダンゴ」「田舎風豆腐の炒め煮」とあり。こう日本語で書かれても殊に「エビの牛乳入り卵白炒め」ではあまり食欲をそそらず。ちなみに順に「生局蟹本」「西檸煎軟鷄」「西施蝦仁」「小元炸綾魚球」「家郷豆腐」のこと。
勝谷誠彦氏は日記で読売新聞の長野県知事選挙の「積極的な支援は少数派」なる記事を長野での購買数を減らしたいのかと揶揄されているが康夫チャン票の多くが県議会のオジサンたちへの反感票であることは事実。知事辞職と議会解散選挙を行わず失職を選んだがために議会の真価を問わずその世論が康夫チャン再選票になっていることは真摯に受け止めるべき。
▼先週の香港大と中文大の世論調査にて行政長官董建華君支持率がそれぞれ47.8%と48%と低調なるを受け香港政府中央政策組は小泉君44.1%や台湾の阿扁46%などに比べけして悪い数字に非ずと声明を出し親共『大公報』も董の二期目で部長問責制が始まり一ヶ月も立たぬ調査でまだ成果を問へず、と。中央政策組のコメントのまず初歩的な誤謬は各国領袖と比べることにて明らかに国家領袖のほうが責任課題等多く当然のことながら不支持となる条件多し。それに比べ董建華君はたかだか高度の行政自治を下付された一都市の首長にて職務への評価条件も少なく当然支持率は高かろうべき。『大公報』の評論は正論のようで今後部長問責制がうまく機能せず政府支持がさがり結果的に董君支持が下がることは予測せず?(笑)。