富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十三日(火)快晴。柴湾に出て柴湾の丘陵に並ぶ華人墓地、天主教墓地、戦没者墓地、回教墓地、仏教墓地、火葬場と「これでもか」といふほどに「死」を巡り峠の頂上は刑務所といふ洒落にもならぬ一帯を抜けるミニバスにて赤柱(Stanley)。バス乗りかえて海岸で日がな一日新聞読み向田邦子阿修羅のごとく』読了。『あうん』もそうだがあれだけテレビを見て暮らしていたのに何故か『あうん』も『阿修羅のごとく』も見ていないのは何故か。再放送もかなりあったはず。山田太一の『岸辺のアルバム』が検べたら77年でこの『阿修羅のごとく』は昭和54年から55年。『岸辺のアルバム』で家庭崩壊がすでに描かれており、それに比べるとこの『阿修羅』はいろいろ家族が問題を抱えつつ四姉妹を中心に家族の物語であるが興味深い点は何かにつけ集まる時の殆どが浮気、病気、火事……といった凶事かその善後策の話しあいであること。ゆいいつ末妹の結婚式が祝い事であるがここでも三女の夫が倒れる。こうして今になって見てみると20年前にもうここまで描かれていたのだ。それからの20年はどんどん悪くなっているのか、20年前ですでにここまで来ていてそれ以降はむしろよくぞ平穏なのか。Z嬢曰くこの『阿修羅のごとく』で使われていた土耳古の軍楽「メフテル」の演奏に当時感銘し丁度警視庁のパレードか何かで土耳古警察の軍楽隊が東京を訪れそれを日比谷まで聞きにいった、と。それをZ嬢から聞いて「ふむふむ」と思って丁度文庫本の和田勉による後書を読むと和田氏がこの音楽について綴っており、この曲は和田氏が73年に取材でイスタンブールを訪れ偶然に市街で録音したその実況録音であったことを知る。夕方ジム。ウェイトを風邪ひく前に重さまで戻す。先日偶然ばったり北角で遇った畏友G君とまじに七、八年ぶりかで灣仔上海料理・留園の樓上の素齊閣にて精進料理。銅鑼湾功徳林と同じ上海系素食だが味としては個人的にはこちらのほうが好き。お勧め。かなり古い友人たちの近況など聞きG君も大人になり年月経ちし事をしみじみと懐ふ。