富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十七日(月)晴。夕方、芸術中心で台湾の張志勇監督『沙河悲歌』を視る。台湾映画祭が数日前より始まっていたが知らず土曜日に粗呆区のAguis bのギャラリーにあったチラシにて開催を知る。今回の特集は数年前に『天馬茶房』を視たのみの林正盛監督。平日の夕方では観客は十名ほど。1949年からの数年後、家が困窮し進学もできず音楽が好きで身を立てようとした青年(黄耀農)は音楽といってもドサまわりの劇団の伴奏や座敷遊びの流ししかできず、それでも家に仕送りする健気さあってもオンナに惑わされ結核で医者に楽器の吹奏を厳禁されながら音楽を止められず若くして結核で一生を終える儚い物語。この青年が、日本統治時代を象徴する父、剣道を愛し台湾光復後は人格破壊され死ぬ運命にある、と国民党統治の時代に育ち次世代といえる弟のその狭間で、結局はどちらの世代にも属せぬまま人生を終わるという、いかにも時代をうまく体言させた人格設定で、地味な作品ながら見応えあり。『週刊読書人』を二十年ぶりか?ふと購読し始める。『群像』に大塚英志が書いた「不良債権としての『文学』」を中森明夫が再・評論しているのが一面にあり、中森明夫が一面に書くことじたい『週刊読書人』も変わったのか、と思うがもともと中森の<揶揄体>は「おまけ」のコラムだからこそ活きるのであり、これを一面にもってきても面白くない、と思わないか。渡部直己らが「東大元学長」蓮實重彦にインタビューする連載が31回!も続いており、しかも「ブランショ」について、だ。他にも椅子から落っこちるようなノリは少なからず、日本図書館協会の選定図書週報の欄では『フランスだったから産めると思った』という仏のスキーリゾートに移住した日本人女性のエッセイ集が「出産・育児」というカテゴリーで「500工学・技術」の範疇となっていたり、週刊日誌では「ジョイス草稿15億円で購入」の見出しでアイルランド国立図書館が£800(笑)にてジェームス・ジョイスの未発表原稿を購入とか誤植のセンスまでピカ一、なんか時代とは全くかけ離れた凄い世界がここにある。W杯は余り興味もないが或る事情あり(笑)ブラジルだけは声援を送る。ベルギーに勝ちこれで××がより×××になる。次の準々決勝の対イングランド戦は決勝戦のようなものだ。
▼八月納涼歌舞伎、昨年はここに勘九郎の研辰があったわけだが今年は第一部は真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)豊志賀の死にて福助の豊志賀、勘九郎の勘蔵、第二部では勘九郎宙乗りありで浮かれ心中は勘九郎橋之助福助扇雀獅童、第三部は怪談乳房榎(ちぶさのえのき)にて中村屋三役早替相勤め申し候と七月の沢瀉屋に続き八月は中村屋が定番となりぬ。ここまで朝から夜まで出ずっぱりで中村屋お見事。40代の今、勘三郎襲名まで注目せぬわけにはいかず。『東京人』の特集にてそういえば串田和美がうまいことを言っていた。歌舞伎というのはもう代々継承されてきた伝統なわけでただそれを面白可笑しく変えても一回限りで終わってしまっては意味がないこと、研辰が革命的といわれるけど革命的というのは歌舞伎役者が「もうこれまでの歌舞伎は止めよう」「出来ない」と思うまで衝撃的なら革命。野田版・研辰は歌舞伎というより野田の演出の芝居を歌舞伎役者がやった、ということ(を悔しさこめ串田が言うのがいい、自分だってそりゃやりたい、と)。自分たちが勘九郎コクーン歌舞伎でやっていることは全く新しい歌舞伎(例えばジーンズ歌舞伎とか)をするのではなく、むしろ歌舞伎の原点に返るひとつの試みだ、と。御意。
▼先週W杯中継を行った沙田競馬場で発見された小型時限爆弾、犯人逮捕される。がその捜査ぶりに警察国家の具体例垣間見た思い。まず時限爆弾に仕掛けられた時計がわりの携帯電話、これがプリペイド型にて本来利用者が限定されるものだが犯行人が犯行前にこの携帯を使っていくつか通話しておりSIMカードに残ったデータからいくつかの特定の電話番号が検知された。警察は電話会社の協力を得てこの電話番号の住所を特定。また競馬場に設置されたモニタカメラの映像に爆弾がいれてあったParknshopの袋をもった男が映っており、携帯に残った電話のある家の居住者数名と照らし合わせた結果、当日爆弾が置かれていた場所付近の警備員がその居住者の中から競馬場内にて容疑者を見かけた記憶あり、この男を尾行の末、羅湖の国境にて端午節連休にて中国に入ろうとした男を逮捕。失業ゆえむしゃくしゃして社会不安を起そうと犯行に及んだと供述。爆弾犯が逮捕されぬのも困るが携帯電話の通信記録、モニタカメラの監視など我々が普段意識しないところで確実に素行の記録が残ってしまっている現代社会の現実。
▼北京ではインターネットカフェ網琲が深夜火災にて24名が死亡。北京の「火災事故としては」24名の死亡は建国後最悪という事実にも驚く。網琲の安全に問題があるとして北京市長はこれまで法的に規制のなかった市内に百軒あるといわれる網琲に対してむこう三ヶ月の営業停止を命令し安全基準の見直しを図る、と。それだけの事故と対策なら単にそれまでだが結局はインターネットといふ中国政府にとって最も規制の難しいメディアに対してこの事故を機に許認可制とできる、といふことか。誰かが放火していたりして……。