富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十二日(水)雨。昨晩のプロポリス液の所為かかなり快適に早起。或る文書に「ワールドカップもはじまり、世界中の人々の関心が日韓に集まっている今日この頃、皆様には、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます」という時候?の挨拶あり。世界の人々の関心はW杯に向いているのであり日韓に向いているのでは非ず(笑)。しかし悲しきことばかりのなかW杯の快勝にて日本益々ご清祥なのは事実かも知れぬ。『週刊読書人』購読を決める(高いなぁHK$27)。街に出てみれば街中からうざったい塵芥消えたり。日三前に条例発効し路上でのゴミ捨て、煙草吸い殻、犬の糞、宣伝ポスター貼りなどHK$600の罰金。バス停にて数十年の習慣にて地獄の底から轟くガーッという雷鳴とともに痰を絡み上げたオヤジ、ペーッと吐き捨てようとした瞬間にHK$600が頭過り思わず飲み込む姿可笑し。ちなにみこの二日間にて90名が罰金とか。ハッピーバレー今季最終戦。昨年同様に関係者にて会員席ボックス席にて一年を振り返り納め会開催のつもりが参加人数三十人を越える一大行事となる。ボックス席にて食事しつつ酒を飲みつつの競馬で勝った試しなく今回は生牡蠣半打でビール一杯口にしただけでカリー飯喰い腹八分目、あとはチーズとビスケットを珈琲で流し込みつつ精進ぶりに徹したが8番だけ賭けたトーシローに大穴を当てられドラゴンボートする者がDragon Winに賭けて大勝とさういふ環境にて運は全てそちらに向かい、我が卓は競馬好きばかりながらさっぱり当たらず「風水が悪い」と解り(笑)何か黄色いモノを卓の四隅に置き風水を変えるべしと黄色い包装の紙包砂糖を置くが風水好転せず。もはやこれまでとSize師に馬にばかり賭けるがSize未勝、トホホ……。
ナンシー関、急逝。昨晩も『噂の真相』の連載、笑いを噛み殺しながら読む。何故にこの人にかかるとこうもテレビのいかさまの事象が理路騒然と真理に於て語られるのか毎月楽しみにしていたものを。身体を動かすこともせず命をかけてテレビの前に座りスナック菓子にて食を繋ぎつつブラウン管の彼岸を凝視していては命ももたぬ、か。哀悼。ナンシー様のサイト『ボン研究所』は閲覧殺到し繋がらず。初めて『週刊朝日』のナンシー関の連載「小耳にはさもう」を読む。第461回にて偶然にも我が天敵(笑)石原慎太郎を語る。日韓、いや日刊スポーツW杯開幕直前の石原へのインタビューにてナンシー関曰く「この時期にわかサッカー評論家が全国で七千万人くらい発生している」と語り始め石原のインタビューは「日刊スポーツ側が多少暴論めいた『W杯とナショナリズム』というお題の石原節を期待したけど、でも石原慎太郎は思いのほか乗ってこなかった」「ナショナリズムガンガンで国威の発揚でも目論んだのかもしれないが、実際にはトルシエ批判や「だから日本はダメ」論、揚げ句はサッカーファンが大切にする甘美なる心の痛み、ドーハ悲劇までおちょくる始末」で、つまり石原本人より日刊スポーツのヤマっ気を揶揄するナンシー関。後半は「たとえばボブスレーという競技を語るとして、ボブスレー国体選手より松岡修造のほうが成立する」メディアの真理を語り、「芸能界で最も高いサッカー経験を持つのはお笑いコンビDonDokoDonの平畠だという」「でも平畠にはワールドカップ関連の仕事は来ていないらしい。まあ、結局そういうことか」と締めくくる。『噂の真相』の連載に比べると『朝日』では多少毒に欠けるがいつもながら見事なタッチ。惜しい評論家を亡くす。
ナンシー関が亡くなったと思ったら今度は新宿二丁目の「おかあさん」も。築地のH君よりの弔報にて始め伊勢丹角の新宿の母かと思いきや二丁目。H君、歌舞伎のT君、シアトル出身で日本舞踊を習ふJ君、文兄、Z嬢らと新宿に遊んだ80年代を懐かしむ。
▼『信報』社説にて中国人民元が将来国際通貨になる推測について述べる。早ければ十年後にかうなつた場合、現在米ドルをpegせし香港ドル人民元を信用対貨とするとか若しくは香港ドルじたいがなくなり人民元にとって替られるということもあり。国際通貨の条件として使用人口が多いこと、その通貨建ての貿易が多いこと、健全なる金融体系、信用のおける中央銀行の存在、長期的な信用など条件と述べるが、我がふと思ふことは日本円にて、貿易量こそ未だ多いが使用人口は一億余、金融体系の旧態性と日銀の弱体ぶり、泡沫経済破綻からすでに十余年回復せぬ信用といふ情況を見るにつけ日本円が国際通貨たらんとするにかなり厳しき現実。このままでは日本円が人民元に取って代わられることもあらんや。
シンガポールの発展にとって最も重要なものに冷房機ありき。李光燿建国にてまず着手せしは中央官庁への冷房機設置にてこれによりシンガポールの労働効率上げたり。事実なれど赤道直下にて朝早く労働し炎天下には日陰にて憩ふ伝統も捨てざりき。暖冷房もグローバリズムの重要なる要因。また冷暖房もそれぞれの家屋大廈毎々に非ず中央管制とせしこともエネルギー効率高めると同時に社会管理と同根なり。
▼築地のH君この日剩余がサリンジャーについて綴るを読まれ返信にて曰く、暫く前に小平中央図書館「不要本コーナー」屑本の中にサリンガー著『危険な年齢』なる並製本書見つけ奥付け見れば昭和30年代。それにしても『危険な年齢』?寡作のサリンジャーにそんな本ありやと訳者「あとがき」読めば驚くなかれ本邦初訳の"Catcher in the Rye"なり。余はこれを『ライ麦畑でつかまえて』としたはこの物語原作になきメルヘン性を与える白水社の明らかな異訳であり『ライ麦畑の捕まえ手』とすべきと思ふがH君見つけし『危険な年齢』の訳者曰く「なお原題は、ライ麦畑でとらまえる者、の意だがわかりにくいので編集部の案にまかせた」と。やはり。それにしても『危険な年齢』とはダサし。サリン「ガー」の『危険な年齢』では猟奇譚だ(笑)。また訳者は「原文は、将来1950年代アメリカの青少年の口語を知る恰好のサンプルになるであろうといわれているが、拙訳がどこまでニュアンスを伝えきれたか不安である」と正直(笑)。もちろんH君談ず通り白水社版の「名訳の名をほしいままにする」野崎訳の「生き生きした口語体」も原書の英語のガラスの破片を触るがごとき感覚に比べ顕然なる青少年物語の感あるは否定できず。H君その野崎訳も昭和30年代には物語の序盤にてホールデンが兄貴を「やっこさん」と読んでいる(笑)、と発見。この当時若者口語として「やっこさん」が生きており、そうなると江戸時代以来の「やっこさん」が死滅したのが、まさに高度成長時代ということ、とH君。