六月四日(火)曇。64、天安門事件十三回忌。ジョンレノンの暗殺と並び「あの日何をしていたのか」鮮明に記憶に残る。89年のこの日恵比寿の山手線を望む渋谷川に面したアパート、六畳風呂なしトイレ共用にて銭湯から戻り冷房なども当然なく扇風機の風に当りながら衛星放送の受信機だけはあり衛星放送にて流れる北京の画像に焦る。チャンネルを変えればフレンチオープンにて弱冠17歳のマイケル・チャン君が奮闘。あれから13年。同じテレビ中継はW杯にて中国チーム映す。中国共産党にとっては首都の建国宣言せし広場にて国家の将来を憂ふ若者たちの生命を蹂躙してまで死守すべきものは何だったのか。革命第一世代にとっては自分が数十年前に国家を将来を望む気持ちと同じものであれば若者の熱意は誰よりも理解できるはず。革命勢力が権力となり保守となりそれが倒されるべき立場となることもマルクス主義にて明か。それでも若者たちに応じられなかった理由は何か。みずからの権力の保持もあろうが天安門広場に集結せし<希望>たちに国家を担わせるだけの価値を見いだせず?。共産党政府が瓦解すればそこには混乱だけが残ると察したのか。そうでもなければいくら独裁政権とて国民を殺すまひ。現状の中国にては必要悪の一党独裁……。中国を肌で知るまでは理解できずにいた中国の難しさあり。いずれにせよあの事件は現実の中国が「どう在るのか」を理解するうえで風化できぬ重要な事実なり。黄昏にジムにてbodypump。季節がら食欲もなく食生活を考えこのところ高カロリー避けSupersandwichにてBLTと野菜ジュースの夕食。夜『発言〜米同時テロと23人の思想家たち』続けて読む。Edward Said、Paul Virilio(都市学)、Giorgio Agamben(伊・哲学者)、Arundhati Roy(印・小説家)の論証には敬服。近いうちにノートにまとめようと思う。