富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月三日(金)快晴。ふとしたことにて香港日本人倶楽部創立50周年に向けての記念誌編纂に携り日本人墓地墓誌台帳の整備だのする中で明治に出来た本願寺系の日本人学校を調べるのにお東さんか西さんかもわからず日本が香港占領せし当時の香港国民学校の卒業生I氏(長崎県在住)に電話にてお話伺ふ。いろいろ貴重な情報を得たばかりか昭和生まれのI氏の伯母にあたる女性が明治34年に香港にて没くなりその墓が日本人墓地にあると言われI氏自らが生まれる二十年以上前に他界せし伯母の苗字は知るが名すら覚え知らぬところここ数年の日本人倶楽部の墓地整備にて台帳もととのひこの伯母の名、また昭和十九年にわずか生後十日ほどにて香港にて没くなりしI氏の弟戦時中にてこの伯母の墓に合祀されしことなどまで知らされる。I氏の知古に戦前の本願寺の住職の娘なる女性あり。いろいろ調べるにつれ山口昌男ワールドが如き知のネットワークに接す。九十一年予がフリーポスト『中華人類学』を連載せし時の編集長にてその後朝日新聞香港衛星版にても編輯をせしY嬢とZ嬢と銅鑼湾琉球料理屋『えん』。アパレル系小売店の如き可愛らしき店員愛嬌よく振るまい好感。客はカタカナ業界モードの日本人若者男女かなり多く80年代末のバブルに踊る「システム手帳片手にブランド系スーツ」よろしき東京の麻布や広尾、恵比寿を彷彿する光景。料理はけして唸るほどの味でもなく素人にもレシピわかり隠し味とまではいわぬものの味にパンチ乏しき。店にとっては嬉し悲しの繁忙時間には厨房注文に間に合わず開店から数カ月にて献立かなり絞らざるを得ず。久米島産の泡盛・久米仙古酒(五年)飲む。料理屋でも焼酎並にHK$230が限界。久米仙には久米島酒造と久米島の久米仙あり後者の小売価格2,030円の「たかだか泡盛」をHK$530(9,000円)で供するは論外。一度目は物珍しさ、二度目は他人を誘い三度は惰性、問題は四度目に行くかどうかの、そこがこの料理屋の極みか。この界隈、魚屋一丁始めレシピ単純な日本料理屋少なからず。ふとZ嬢と香港にて果たして十回以上暖簾潜りし日本料理屋ありやなしやと思い返せば(八年ほど前に飲み友達多く集い頻繁に通った居酒屋一番除けば)天后の利休、尖沙咀東の五味鳥、その程度か、と。閉店間際のCitysuperにてZ嬢見立てし群馬県南牧村の炭枕購ふ。▼『喜宴』や『飲食男女』に出演せし台湾の俳優・郎雄(Lang Hsiung)逝去72歳。かなり伊丹十三の影響を受けたのではないかと思った『飲食男女』は台北の有名な料理屋の総料理長(郎雄)を主人公に家族と食にまつわる物語が展開するがこれの邦題が驚く勿れ『恋人たちの食卓』(笑)と最低。邦題つけし映画配給会社のセンスの悪さの極み。