富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十日(日)曇。朝七時にPeakに有志数名集まり香港トレイル50kmのトライアル。07:15に出発して山頂Lugard Rdは歩くがその後基本的に登りを歩く以外は走り陽明山荘までの25kmは快調にて10:50。昨年のGreenpower以来一年ぶりの香港トレイルだったが一昨年、昨年に比べるとかなり走っていても楽ではある。が小休止ののち後半Jardine's Lookoutの登りに入ったら途端に脂汗、身体は途端に重く脚が上らず。フルマラソン組のH氏、Y氏とK嬢は先行、Amino Gear服しゆっくり登り始めMount Batlerから大譚のダムまでの下りは快調に飛ばせたがやはり30km地点石澳の引水路沿いに入るとやはり脚が重くなり膝もかなり痛み走れず。土地湾にてZ嬢と待ちあわせ石澳のDragon's Backを登り47km地点でバス停に出て終了。午後三時。残りの3kmとゴールはGreenpowerの本番まで外っておこうという次第……というと聞こえはいいが疲れただけという感もあり。バスでShau Kei Wanに出てSKW Rdの南洋館にて猪開心と馬來醤撈麺食す。美味。なかなか来る機会のないSKWはバタ臭き街にて美味いもの少なからず。帰宅。なぜか日曜日の夕方黄昏にCDを聴こうと思ふとPink Floydを選んでしまふのは何故。Pink Floyd聴きながらロックグラスにぶっかき氷を多めにいれて氷が溶けないようにした冷えたドライマティーニが好し。都築道夫『推理作家の出来るまで』フリースタイル社(上巻)読了。推理小説を殆ど読まぬ余は都築道夫なる作家の名すら知らずにいたが朝日の半年以上前の書評欄だったかに紹介されていて、終戦早稲田実業を卒業せぬままひょんなことから戦後ゾッキ本にかかわり文章を書くようになり時代物やミステリを書いていた筆者が洋古書で『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』を手にしたことからウールリッチの短編"Meet Me by the Mannequin"を訳してみたくなり英文法早分かりの類の本を三度読んでコンサイズ英和片手に翻訳しそれが雑誌に掲載され……とそういう筆者の反省が戦前からの風俗や世相を恐ろしく詳細な記憶を通して語られる。小林信彦山口昌男などお得意の分野だが彼らだともっと深いところまで探求していくのに対してあくまで自分の記憶に基づいているだけなのはこの『推理作家の出来るまで』が新刊ではなく『ミステリマガジン』に昭和のおわり13年にもわたって連載されたものだからで読んでいると偶然に推理小説家になったような飄々とした書き方ながら全くなんの経験もないまま"Meet Me by the Mannequin"を『マネキンさん今晩は』なんで洒落た邦題とするあたり流石としか言いようがないのである。残りものの南アの白はSpringfield Estate2000と葡萄牙はQuinta de Camarate'98飲みながら91年の映画でモックン主演の『遊びの時間は終わらない』(萩庭貞明監督)を看る。期待もせずだったが娯楽作品の基本をきちんと弁えている。まず主演俳優がいいこと(本木君)。そして劇作の基本として「もし」こんなことがあったらという仮定であること(銀行強盗訓練での犯人役でありながら実際の銀行強盗のように警察を敵にまわし立ち振る舞ってしまう脚本)。そして主人公は悪役でありつつ民衆の英雄であり官を敵にまわし痛快に立ち振る舞うこと(警察が醜態を演じ民衆はモックンを英雄視し犯人は希望を載せてヘリで逃亡すること)。この要素は今村昌平監督の世界なのだとあらためて思う。ちょっと娯楽作品としては見せ場がないわりに長すぎて結末もあれでいいのかどうか、と思いつつやっぱり痛快娯楽劇はあの結末以外なしでせふ。