富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月二十八日(月)曇天寒空。黄昏ジム。四日市は笹野酒造の<白梅>なる純米大吟醸でつみれ鍋しつつ丸の内のY君送ってくれしビデオにて正月の箱根駅伝往路のレース見る。キロ3分といふ余の凡そ倍の速度にて時速20キロにて走るとはキチガイか超人か天晴れ。それにしてもいくら正月恒例の大きなイベントとはいえ14名のランナーの走行にて数千人が路上にあふれるマラソンと比較できないが対面通行にて反対車線には自動車が走行しランナーの前も後ろもいくら排ガスを九割削減した車もあるそうだが自動車とバイクが縦横無尽に隊をなし沿道にて応援の観衆は道路に飛びだす様は片側四車線が完全に遮断され人民解放軍兵士が10mおきに微動だにせず立ち並びその他に警官が沿道を警備する北京マラソンとまさに好対照(どっちもどっちだが)。各区間のゴールを見るつけゴールした走者が疲労困憊なのはわかるが選手が全速力にてゴールインし減速もまだできぬ距離にてまだけして倒れてもいないのに控えの者が大きなタオルやコートなどで包み込み抱きかかえられた走者はむしろそれで勢い余って倒れ込み、すると今度はそれを控えの選手が頭から腕から脚から持てるところを持って混乱の中コースから運び出す。運動を劇的なものでなければならないとするヘンなノリではないか。ゴールして倒れ込むとわかったら介抱すればよし、少なくても襷を次者に渡した走者が減速するのは待つべき。あれはむしろ危険。往路二区にて法政の徳本君右脚の肉離れにて棄権した際などただ「医務」と旗をボンネットに掲げた普通の自家用車にて大腿部の肉離れを起した走者を狭い後部座席に押し込むのを見て唖然。救急車とまではいわぬがせめてバンと担架くらい準備できぬものか。▼中国に聖書数千冊を密輸したとして<利用邪教破壊法律>の罪にて告訴されし基督教系<邪教>信者とされる香港市民の裁判が福建であり合州国総統Bush君が信教の自由に牴触するこの検挙に懸念を表明などしていたが本日の裁判にて罪状は非法経営罪とされ(聖書密輸について)懲役二年。基督教がイスラムとの対立を深め共産主義が聖書を敵視し……と世はまさに宗教戦争へと向ふのか。
数日前の『信報』にて林行止専欄にあった経済学者に関する小話いくつか。▼ある人田舎道を歩けば羊飼いに遇い羊飼いに向かって曰く「賭けをしてもし我が羊の数を当てたら羊を一頭得、もし外れれば汝が百元を得るは如何か」と。羊飼い同意せばその男羊の数を九百七十三頭と当てその賭けの賞品を得て去ろうとすると羊飼い男を呼び止めて曰く「我に今一度賭けの機会を与え給え」。男は同意したが羊飼いは何を賭けたと思わんや。羊飼いは男の身分を当てるといい男も意義なくすれば羊飼い「汝は政府ブレーン機構の経済学者なり」と曰く。男は驚き羊飼いどう当てたかといえば「それほど簡単にあらずとも」羊飼い続けて曰く「汝が連れ去りしは牧羊犬にて綿羊に非ず」と。数字を当てることはできても現実から遠く離脱するは経済学者なり。▼アインシュタイン博士逝去し天に上れば神は博士に経緯を表し紅色の絨毯を敷き三名の天使を南大門に遣わす。博士あの世の迎賓館への道すがら天使に尋ねて曰く「汝のIQはいくつか」。天使A「二百一」と答えれば博士「それは余も寂しからず、汝は我と相対性理論を語る資格あり」と言い天使Bに同じく正せば天使B「百五十」と答え博士「それも悪からず、余と珈琲を飲みつつ天下の万事を語ろうぞ」と誘ふ。最後に天使Cに問えば天使C「七十五」と答え博士暫し考えて曰く「汝に問ふ、来年度の財政赤字にいかなる看法ありや」と。▼或る旅人食人族の部落を旅し路上に一軒の脳味噌専門店あり価格表眺めれば芸術家の脳毎磅九元から始まり哲学家同十二元、科学者十五元とあり最後に経済学者の脳は毎磅二百十九元なり。市場の需要あれば価格があがる法則にて経済学者の脳はグルメに評判の結果高値かと旅人合点す。但し脳味噌屋の主人の答え旅人の予測に相反するは「経済学者の大多数は能(脳)なしにていったい何人の経済学者の脳を集め1磅になったか知れず物は稀なる物を以て貴きとす故に経済学者の脳は高価なり。▼新大陸を発見せしコロンブス社会主義者なり。何故にかといえば……出航時に目的地を知らず到達した場所が何処かも一向に判らず彼の冒険はすべて政府資金により本人はその拠出に一切責任もなし。▼二人の男が気球船に遊べば風頗る強く気球は遠くに流され何処に在るかもわからず。男たち地上から二十米まで下降し道行く人に大声にて「お聞きしたいのだが我々はいま何処にいるのか?」と尋ねる。道行く人「気球だよ!」と答える。それを聞いた気球の男はもう一人の男に曰く「この男は間違いなく経済学者なり。何故なら答案は正確だが少しも用をなさず。道行く男その話を聞いて答えるは「ならば汝らは商人か」と。気球の男二人「それに違いないが何故にわかったか」と質せば道行く人曰く「汝らはいつも有利な地位にあり恨み辛みばかり言う故なり」。▼或る経済学者休暇にて田舎に遊び或る宿屋に投ぜば学者その宿屋の娘といい仲となる。一年後に彼がまたその地に遊ぶと宿屋の娘生まれたばかりの赤ん坊を抱き「この子は私らの一粒種」と男に告げたり。経済学者「汝は何故に我にこれを知らせず、我々はすぐに結婚せしものを」と言えば、その女曰く「我々家族にて協議の結果、私生児のほうが経済学者の子よりまだマシ、との結論に達したり」。▼神は何故に経済学者を創造したか。気象学者をちょっとよく持ち上げるためなり。経済学者とは何をする者か。短期的には頗る多くのことをするが長期的には何ひとつ事を成さず。▼社会主義制度下にあっては二頭の雌牛を得れば汝はその一頭を隣家に給ふ。共産主義制度下にあっては二頭の雌牛を得れば汝は国家に牛を給ひ国家は牛乳を汝に給ふ。資本主義制度下にあっては二等の雌牛を得れば汝は一頭の雌牛を売りその利益にて一頭の雄牛を購ふ。(つまり資本主義にあってのみ将来の収益が期待できるということ)▼或るシカゴ大学経済学教授が逝去し或る人が故人の冥福を祈り一人一ドルずつ募金をし故人の葬儀をと唱え、或る人がシカゴ証券取引所の会頭にこの募金を願ひたれば会頭「一ドルとは誰が亡くなりたれば」と尋ねこの経済学者の逝去と知ると会頭曰く「ここに千ドル、これにて千名の経済学者を葬れ」と。ふと慶応大学から御用経済学者を招き経済財政政策担当大臣にせし国があったことを思いだしたり。