富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十四日(月)曇り小雨。昨晩遅くまで作品社日本の名随筆『少年』島田雅彦編読む。いまだ農歴正月前だといふのにまるで三、四月の雨期のようにどんよりとした雲低くたちこめ湿気甚だしき日々が続く。『十九歳の地図』を映画で見たのは東照宮のお宮にあがる石畳のよこにある腐りきった雑居ビルにある映画館だった。それより十数年前はボーリング場に映画館に目玉は屋上にある回転レストランでかなり流行っていたし東照宮への参道の数百メートルは自動車を締め出し屋根をつけた商店街で賑わっていた。それがすぐに廃れ映画も絶不調で、家にあった無料招待券で平日の昼間ガラガラの映画館に学校をサボって見にいったのが『十九歳の地図』で十七歳の時だった。親戚がいたから土地感のある王子が舞台で朝鮮系の住民が多いのも知っていたが柳町光男監督のことも、ましてやこの映画の原作者が中上健次ということも全く知らなかった。十年ほど前だかマニラの繁華街をぶらぶらしていたら田代まさし似のポン引きに声をかけられ、信用できる証拠にとそのポン引きは中上健次がマニラに来るといつも案内すると言って中上健次と一緒に写っている写真を見せられた。ポン引き君に仕事抜きでいいから酒だけおごってくれと強請られマカティまで遊びに行って麦酒を飲みながらそういえば中上健次は『奇跡』を当時の『朝日ジャーナル』に連載していたが連載小説というのが嫌いで読みもせずにいたなぁと思っていたら数年後に急逝してしまいそれっきり読んでなかったのだが、ついに小学館文庫で中上健次選集を数冊調達し『讃歌』より読み始める。わかってはいたことだが他の何も手につかず。この本を読みながらまともに食事する気にもなれず夜遅く灣仔の榮華麺家にて葱薑撈麺を食す。この店は麺が自家製にてHennessy道の店と反対側にたって店の樓上を眺めると麺打ち職人の仕事が伺えるわけで、麺の美味さは香港唯一。榮華の筋向いの涼茶第一家にて亀苓膏食す。引き続き『讃歌』読む。 日が暮れてようやく雨が降り始める。お湿り程度だが乾いた埃っぽい街にはせめてもの救い。明後日の馬場のコンディションが悪くならない程度に降りますように。▼昨日内地子女在留権を求める大規模なデモ並びに集会あり銅鑼灣を行進中にバス走行を待ち苛立つ市民から「大陸に返になよ」とヤジられそれに「アンタは娘がいらかい?」とやり返すなど幾十年前に香港に来た者と今来る者との軋轢。魯迅かゾラの小説のような世界。苛立つ市民にも言い分があり「自分たちだって仕事がないのに居留されたら同じ食碗を奪い合うことになる」というのも一理あり。内戦期や五十年代の難民潮に比べれば数は少なきものの当時は労働力も不足し受入れ出来し社会は今日と状況著しく異るもの。▼三和・東海合併によるUFJ銀行シティバンクが日本の銀行法により必ず「銀行」なる二文字が銀行名に必要でシティバンク銀行なる間抜けな名称にせざるを得なかったのに比べればまだマシか、しかし縦書き看板での「UFJ銀行」も視覚的に容せるものにあらず。Bankなる英単語を許容もできぬかぎり日本の金融市場に未来はあるまひ。▼英国ヘンリー王子(16)が飲酒並びに大麻吸引あり、と。最近でいえば石田一成君、カルセーヌ麻紀女史、田代まさし君ら芸能人については芸に冴えあることを条件に大麻覚醒剤程度は許容すべしと思ったが王室なるはまさに河原乞食、芸人を操る神聖にして極めて俗なる不可触な域にて王族は芸人同様に、否、芸人以上に大麻覚醒剤など下々の者が非難するとは不届き千萬なり。それにしても大英帝国の王位継承三位にあたる殿下が大麻を吸いパブで深酒できるとはさすが自由なる国家。ちなみに林望センセイのようなネタになるが英国のパブは営業時間が厳しく決められておりヘンリー王子も"after-hours drinking"というパブの裏営業が暴露される(笑)。パブにしてみれば王子様じゃそのへんのガキのように気楽に羽根も伸ばせぬからと営業時間外にちょっと飲ませてやった、ってところか。従事が王子の大麻臭さに気がついてお父様殿下にご注進とのことだが大麻の臭いのわかった侍従は立派、宮内庁職員は大麻の臭いはわからない?