富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月二十二日(土)快晴。余は基督者でなきものの世は聖誕節の連休始まる。昨晩冬至前夜ともなれば午後六時はすでに空暗く気温下がり遠くまで夜景が映えこれ幸いにとドライマティーニを飲んで乾果をつまめば右下の第三大臼歯(西欧はwisdom tooth、秦那では智歯と云うが親不知という語の響きが好し)因に親不知『大言海』『広辞苑』すら簡単な解説だけのところロングマン辞典は"〜 don't usually appear until the rest of the body has stopped growing" と親不知が出るはまるで人生のひとつの通牒(笑)、ロングマン辞典は簡潔ながら時たま『新明解』以上にドキリとする説明あり……であるが乾果を噛めば親不知の更にむこうで異物感あり鏡で見れば大きく血泡あり、九月だかに歯医者で親不知の抜歯を勧められその時はトレイル前にて聖ヨハン医務隊にも加わるこの医者もトレイルが終わったら、と。昨晩はこの血泡のみ自ら処置して今朝、前述の歯科医は私家にて急な治療はできまいとハッピーバレーは養和病院の牙科に電話し十時よりの診断。牙科に入れば広き書斎の如き待合室は天井から足下までの大きな窓から第四コーナーをちょうど見下ろす絶好の位置にて第二コーナーから向こう正面の直前、岩、Amigo前の登り坂からぐるりと絶景。出てきた歯科医師は一見して勝新太郎、昨晩の深酒に宿酔甚だしく朝は幸いに予約なきところいったい誰だ急な患者は……と言いたげな表情にて、あの待合室から水曜晩は競馬しているよなと確信されうる御仁、近寄れば煙草臭く、終戦直後の軍あがりの無免許医の如し。すぐにX線撮影となるが立ったまま撮影機に顎を載せ一枚の撮影にて上下前奥と歯の全景を撮る最新鋭にて、痲酔して抜歯に取りかかるがこのL医師、外見は荒いが手仕事は柔らかく靭やかに抜歯。終わって名刺を見ればL医師、養和病院の歯科医局長にてしかも病院の理事会理事でもあった、英語名はWalter、悪太と呼ぼう。しめてHK$2,500は香港の相場並、日本で保険を使えばかなり安く済むのだろうが飛込みで一時間で最先端の器材とカンペキなる衛生環境で外見はかなり怪しいが一流の歯科医、お勘定の際に「証拠品」として抜かれた第三大臼歯をくれたが丹念に眺めれば微かに現れていた表面だったが切開したあと抜歯の鉤具が容易に引っ掛かるように見事に歯を削り、その仕事ぶりに敬服、それで相場並のお勘定なら割安か(とでも思わねば)。一日養生をと鎮痛剤と抗生物質をもらい、これでは夜のランニングクラブの忘年会も出れぬとその用意のみ済ませブツを日本人倶楽部に預け、一時間は喰うなといわれた一時間も過ぎ、熱いもの辛いものは喰うなといわれ、百年ぶりにぶらりと皇后飯店、ビーフストロガノフを食す。ゆっくり冷まして左歯で咀嚼する。痲酔が効いていると口腔内の歯や舌、口唇の内側の「間取り」感覚が鈍り、舌や口腔を噛んだり四苦八苦。食べ終わると黒服の給仕に「久しぶりだな」と言われふと目をあげれば「かつての」薄汚い店だった時に汚れた白衣の給仕、暇な午後の店内で余の卓に勝手に坐り余の煙草を吸い余の新聞のうち競馬欄(当時は興味もなくテーブルに放ってあったか)を眺めていた給仕である。この新しい店になってかれこれ八年か。新装開店で全面禁煙となり当時は愛煙家だった余は敬遠してそれ以来。その給仕もこの店で黒服など粧し込み禁煙に従い余も禁煙の店は寧ろ有難き。こうして邂逅するとあの「レスリー張國榮の『阿飛正傳』の舞台だったそのまま」の皇后飯店を懐かしく懐ふ。帰宅して遺品の如き第三大臼歯を眺めればこんな大きな歯齦が歯肉の中に埋められていたとは。ロングマン辞典によればこれが自らの身体の成長の最後の証し(笑)。終日休養。『優駿』読む。『東京人』巻頭の松葉一清の「東京発言」は最近最も的確な時評だが先月号の「テロ戦争」にてメディアの一大結束ぶりを嘆き「集団自衛権ガイドラインを巡る議論を『神学論争』などと揶揄する論者の出現は、是非はともかく、(日本の)論壇にもグローバリゼーションという名のアメリカ化が押し寄せてきている証と受け止めたい」とし「特殊法人の民営化も本当にコイズミや石原ジュニアの説法通りなのか、少なくてもG7各国の公的住宅融資制度くらいは子細に検討してからでも遅くはあるまい」と。1月号も気勢よし。巻頭随筆に南條竹則氏の「川魚の街」なる文章あり、ふとこの人の「酒仙」を読んでいないことに気づき紀伊国屋サイトで検索したがすでに絶版、この人の多くの作品は絶版だの入手不可で惜しいが『満漢全席』や『ドリトル先生の英国』など注文する。資生堂福原義春氏も随筆の優れた書き手だが、福原氏が生まれ育った品川区上大崎長者丸つまり旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)界隈のことにて現在は文部科学省の国立自然教育園となって自然が残っているようではあるが、実は太田道灌以前のこの地の豪族が遺した邸砦の土塁、平賀源内が遺したといわれる武蔵野にないはずの温暖地の植物相、そういったものが福原氏の家邸や庭ともども東京オリンピックの首都高建設にてなくなってしまっている。本当に今になって思えば実は60年安保「などより」実はもっとコダワルべきだったことはあの東京オリンピックにむけての首都改造であり、それが後藤新平の震災後の帝都建設などとも異り、全く思想なきままこの長者丸の自然を壊し日本橋の上に首都高を走らせ数寄屋橋を填め銀座を遮断しお茶の水神田川河岸を壊し……と賠いきれない破壊をもたらしている。反米闘争があっても40年後のこのグローバリズムをみれば若者の闘争ではとても敵わぬ敵だったことは必然、むしろ東京のこういった開発こそ阻止すべきことだったが当時それをすることは無理。江戸からの住人がただそれに溜息をついていた。東京に生まれ育った樺美智子さんには60安保の最中この東京の「開発」はどう映っていたのか。明日の有馬記念テイエムオペラオー和田竜二)が優秀の美を飾るのだろう、でもちょっと最近……、そうなると期待はマンハッタンカフェ(蝦名正義)かと思いつつ6.4倍の二番人気、オペラオーがきたらマンカフェでは複勝もおいしくないし……と思い24.7倍のトゥザヴィクトリー武豊の騎乗に期待して三着にだけ入ってくれと複勝を買う。奔騰(Orieanal Express)が昨日正式に引退。97年のダービー馬にて98年のQE II盃をとり98年の安田記念で二着、98-99年は原居民と告魯夫とともに活躍、99年には原居民も衰え蝦(FKP)が出てきて世代交代かと思われたが99年のCharter Cupでついに原居民を破ったレースは今でも忘れられず。その後二年に渡って三着ならどうにかの未勝できたが今年五月のCharter Cupが引退レースとなり13倍でまさかの勝利。ここで引退させれば優秀の美を飾れたものをAllan調教師と馬主榮智健に欲が出て今季も走らせ先日のステイゴールド武豊)が六馬身差にあったEkraar(Dettori)を破ったあの香港ヴァースでの13着/14頭が最終レースとなる。中国外交部で銭其深の秘蔵っ子、期待の星Shen Guogfangが中国の国連代表部副代表(代表は名誉職にて実質上の中国代表)の要職について一年くらいだったか急遽、中国外交部副部長(副大臣)に昇格する帰国人事が近々ある模様。Shen Guogfangは香港返還当時の外交部報道官でかなり「笑わん殿下」の顔が知られ返還式典も江沢民の側近として立ち振る舞っており、国連で箔を付けて帰国、将来の外相就任は確実だが今回の急な帰国は実は外交部にて最近の報道部の為体くがありそれの建て直しが任務とか。Shenも笑わん殿下だったが外国メディアからShenの仕事ぶりでかなり外交部が開かれたと定評にて、ここ数年報道官談話は英語から北京語になり報道官の女性はShenすら温厚に見えるくらいの冷徹さ、強情さでもってテレビ映りも悪し、台湾がそれを見てやはり統一は怖いと思われたか(笑)。