富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月三十日(金)曇。夜NHKワールドのテレビをつけていれば昨日N氏の同仁斎を紹介せしニュース10が始まる5分程前に英語ニュースが途中で打ちきられビンラディン師でも仕留められたかと思えば皇太子妃におかれてましてはご出産のため宮内庁病院に日本時間午後11時頃にご入院とのことでニュース10は実際に皇太子妃が皇太子に陪われ東宮御所を発つ11時13分まで延々と5分あれば済むニュースを繰り返し流し続けアナウンサーも半ば相槌にも多少疲れあり午後11時13分に皇太子ご夫妻が東宮御所を発てばそのお車の映像を数えれば10回繰り返し流す間にお車は半蔵門へとお入りになる。NHKのニュースでありながら繰り返す画面では隣りに陣取ったのか某局から出向の鬼沢氏と思われる連呼。皇太子妃殿下におかれてはご出産目近なお体でありながら冬の夜風に車の窓を開け車灯をお点けになり微笑まれるもお体に障らないかと心配に思え下々の者であればすわ産気づいて入院となれば寝癖の頭で寝巻きにドテラ袢纏でツッカケ履きでいいものをお化粧を整え藍色のワンピースに貴金属の耳飾りをお付けになりと皇室ゆえのご苦労を察す。今日は実は秋篠宮様の36歳のお誕生日にて秋篠宮様が皇太子妃のお子様誕生のお喜びについての質問に対して「実際に生まれてきた後でお母さんも子どももいい状態、そういう経過を聞いた後で初めて出てくるものではないかと思います」(朝日)とさすがのお言葉を意味深長に読ませていただく。一週も前の新聞に目を通せば王宏志が『信報』文化欄にて「毛沢東魯迅」なる文章を寄せ今年が魯迅聖誕120周年にあたり中国では盛んに文化記念行事も開催されているが毛沢東も絶賛する新中国を代表する文学者でありその中国共産革命への貢献が評価されているが魯迅は確かに1930年に中国左翼作家連盟を主催し革命文芸の振興に尽力したが重要なことは毛沢東魯迅の功績を評価したのが1940年で魯迅は実は1936年に逝去している、つまり毛沢東の自らへの評価も知らなければ新中国誕生もそしてその後の革命中国の右往左往の動乱も一切知らぬことにて仮にその革命成立後の経緯を見たら魯迅はどうするのか、そして魯迅がもし存命であれば反右派闘争や文革においてどう扱われたのか、と。まさにその通り。早逝がために今日の魯迅像あり、か。本日にて中環のフラマホテル閉業。頂上階の回転レストランはかつて香港を代表するモダンであり数年前Z嬢と洒落で訪れるがビュッフェ形式の料理は不味く酒の値段は高く回転レストランに悪酔いす。60年代から70年代にかけてなぜレストランは回っていたのか。アジア版NewsweekといわれたAsiaweekも廃刊、尖沙咀は広東道、銅鑼湾は新寧道に店を構えた高級魚翅酒家の新同楽も突然の閉店。これも時世なり。