富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月二十九日(木)曇。まるで四月の如き曇天と高温多湿にて不快極まりなし。杜學魁氏の八旬余にての大往生を朝刊にて知る。杜先生は内蒙古出身にて秦那内蒙古が赤化を香港に逃れ社会福利活動に広く従事され晩年は逝去されるまで観塘が慕光書院にて校長を務められる。夫人は英国人にて香港に教会から遣られ香港を永住の地とされ福利に尽力した元・立法会議員のElsie Tu女史にて二人は七旬を過ぎてからの成婚にて人々から祝福されし出来事なり。杜氏はまた日本の秦那への侵略について史実検証と戦争責任を明確にすることに生涯尽力され香港ばかりか海外華人に呼びかけ組織を結成し会長職として貢献される。杜先生には10年ほど前に香港中文大学歴史学科のL先生に連れられ慕光書院にお邪魔しお会いし杜先生がかなりの数の日本書籍を何かの由縁にて預かっておりその処分に困り中文大の図書館に受領を願い出たもの。その後その書籍がどうなったか余は知らず。かなりの知日派にてそれであるからこそ史実検証と戦争責任の明確化、日本の平和主義を日本に望みし杜氏の度量を日本は理解すべし。終日、快活谷の日本人墓地の墓誌集纏につき墓地台帳並びに昭和32年の当時の領事館員による渾身の墓石読み取りによる台帳を基にデータベース化すべく入力作業に徹す。明治12年より此の地に參り故郷を想いつつ亡くなりし邦人、唐ゆきの女性は長崎熊本多く17、8より30ほどまで。船乗り。夏に死亡する者多きはペストなど風土病か。黄昏に油麻地は美都餐室。夏は冷房のため窓を締め切り寧ろ煙草の煙に閉口する階上の餐室も涼しくなれば大きな窓を全開にし秋風心地好し。客も少なく卓にて薮用前に資料に朱を入れる。美都の●排骨飯は半世紀に渡り評判にて通常の粤菜の排骨飯とは全くことなる西洋風炒飯にこれまた洋風に揚げた排骨肉が添えられたものにてまるで子どもが喜びそうな一品。これにアイスミルクティーにてHK$58と茶餐廰にしてはけして安くなく、それ故に静かなる憩い。美都に向かい油麻地のMTR站より廟街を歩くが廟街も佐敦はかなり観光客も多くそれを陽とすれば天后廟をはさみ油麻地側の廟街は陰にてエロVCD、闇煙草、汚らしいが美味そうな屋台とかなり怪しげな店店が並ぶ。夜NHKニュース10にてHIV検査の面倒を解消せむと厚生省の音頭とりにて30分以内での検査結果告知が可能にと報道あり20年前に仙台にて出会いし畏友N医師が開く新宿区大久保の同仁齊がこの医療機関の筆頭に挙がられそれを紹介する報道あり。N医師は性感染症の治療並びにその予防に尽力するが才人にて舞踏は大野一雄氏に師事、地唄舞も四世家元・吉村雄輝氏に師事。同仁齊は10年余前の開闢にあたり保健所より同仁斎の名が医療機関として認可できるできないと揉め同仁斎クリニックなる名にて落着した経緯あり(シティバンクシティバンク銀行なる名を強制せしかつての大蔵省銀行局と同じ貧しき発想なり)、さもつまらぬ事に難癖つけるだけが医療行政かと呆れたり。それを思えば同仁斎が厚生省の指定機関になっただけでも時代の変化か。
●の字は「火」扁に旁は「局」。