富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月二十四日(土)快晴。どうにか風邪も治り朝からトレイル。大嶼山は梅窩までフェリーで渡りランタオトレイルを歩き始めれば荷物を限りなく軽くしたこともあり快調にて二段の大東山を終わるまで二時間かかららず鳳凰山を一時間余にて駆け登り駆け降りす。寶蓮寺境外ゆえに肉も酒も供す食堂ありビールのみ寶蓮寺よりバスにて東涌、MTRにて帰宅す。夜、尖沙咀のいかにも尖沙咀的な仙宮樓京川飯店にてランニングクラブ会合。終わってY兄、I君拙宅に参り92年モノのドンペリとランソンの黒。何故に君たちなどの為にドンペリを抜栓するかと苦笑い。
『東京人』11月号読めば巻頭の松葉一清(建築評論家)の「東京発言」に森ビル社長某の「職住近接を実現することで消費するための時間をつくり出すことができる。買い物もそうですが文化的なものに触れるチャンスができる」という発言を受け松葉氏曰く「一寸先は闇だと思っていたところに米国で21世紀型<戦争>が勃発した。鳴り物入りの都市再生はどうなるのか。文化を語るのも憚られる世相が平均株価一万円割れでますます深まっていくのでは。森ビルで、今からで間に合うのか」と提言は見事。落語特集。圓生正蔵文楽志ん生、馬生……と並ぶ写真に懐かしさ。これに柳橋入れば充分。そして対談がこぶ平志ん朝志ん朝が亡くなる一カ月ほど前の対談にて写真からもあの役者を目指した二枚目がすっかり病に悴れた面にて驚愕。そして談志の単独インタビューは談志の落語にとって重要なキーワードである「業」について業の肯定をイリュージョンといい人間は学習をするがどうしても渾沌としたもの、まとまらないものがあり、それを求める部分がイリュージョンであると語る碩学は今の若手の噺家を「馬鹿ですから駄目です。言いたいこともない」と切り捨て、寄席の将来を「駄目」、立川流などどうなってもいい、と宣い、ただ「俺は残る」「俺は落語をやめられっこないんだ」と言う「若手だった」談志もすでに65歳。この談志の罵声の次の頁に「祝!真打10人揃い踏み」とその無邪気そうな、イリュージョンなど全くわかっていない面の噺家が並び絶望的。この特集の構成も皮肉なり。この夏の浅草演芸ホールでの住吉踊り、綱上を踊る志ん朝のその能面のような横顔を見て涙す。住吉踊り、これが高座の踊りで有名だった雷門助六からの流れであることだけ知っていたが、これはかっぽれで有名な梅坊主なる御仁がおり、それを後年その一座の連中が住吉聯として継承し、この聯に教わったのがまだ10代の小助六(八代目助六)、それを助六から継承したのが踊り上手の志ん朝という流れと小田豊二の文にて知る。夏の暑い盛りにこの住吉踊りを続け秋に帰泉せし志ん朝に合掌。