富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月二十二日(木)晴。抗生物質と強い薬のせいで朦朧とする一日。来年4月に成駒屋は松江の二代目中村魁春襲名にて六代目歌右衛門一年祭追善興行が空前の大一座にて挙行と世田谷のT君より報せあり。成駒屋の披露とはいえ六代目亡き今は「玉三郎丈の」阿古屋琴責がメインか。噂によれば襲名披露に阿古屋勧めらし松江は胡弓で投げ出したとか。松江改め魁春襲名狂言娘道成寺・道行から鐘入まで」の予定も流れるは神谷町が自らの襲名披露にて六代目の横槍にて鏡獅子を踊らされ道成寺出せずの怨恨の由とか。香淳皇后が昭和大礼時の馬車が4頭立てだったことを理由に皇太子妃成婚の美智子妃の馬車6頭立てに激怒遊ばされたという噂を思い出す、とT君。体調悪いまま熱は上がらぬまま突然身体が火照り発汗止まらず暫くすると悪寒と続き佐敦の薮用の帰りに呉松街の恭和堂にて亀苓膏(亀ジェリー)食す。ただこれだけでは栄養にならずと食欲もなく亜龍のカレーなら喰えるかと思い呉松街を南下すれば大きな看板に「魚粥専門店」とあり店覗けば二更にけっこうな客の入り。和味粥店なる店にて脚を踏み入れれば女将の客配らひに不味かろうはずなき確信、及第粥食せば魚と豚の内蔵がどうすればここまで新鮮に臭みなくと不思議なほどの味覚にて秀逸。粥は上環生記と信じていたが九龍に名店見つけたり。