富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月二十一日(金)雨。一旦台湾にて暴れし台風「百合」は迷走し西南に向きをかえ香港近海へと近づき昨日夕方雨強し。この方向転換は41年ぶりと天文台。I氏が四川省にて栽培、日本に売る松茸をY氏経由にて4つ頂き、夜、奈良の「梅の宿」大吟醸を抜栓、松茸を賞味、鮪中おち丼。小布殊大統領の議会演説、アメリカの自由を脅かす者は、だの、アメリカが勝つことが全世界の自由の堅持、だの、数万人の市民が犠牲になり、だのと。アメリカは絶対正義にあらず、奢る勿れ、またその自由のためにこれまで中東、ベトナムと世界各地で数百万の生命が奪われたが事実。合州国が戦禍に見舞われたのは真珠湾を除けば139年ぶりという演説にどの国が?と思い年表で遡れば1861年南北戦争なり。思えば建国当時の首都は紐育にて当時の北部偏重を少しでも解消するために南のワシントンに遷都、それでも南の反感を押さえきれず南北戦争となる。戦争気分高まり日本の出方が注目される中、思い返すは湾岸戦争。当時はまだ短波ラジオがニュース速報の一番手にて、VOABBCが刻一刻と湾岸から脱出する人々のために政府がチャーターした民間機のフライトスケジュールを流すなか、日本はラジオジャパンにて湾岸地域にて脱出できずにいる日本人のために「さくらだより」なる日本の家族からの手紙を朗読(娘が運動会で頑張って父親との競技にはおじいちゃんが出てくれました云々)し日本人が囚われているというホテルの周辺を屋根に日の丸をつけたジープが通るので生存確認のため窓から手を振るようにと指示。あれから10年、何がどう変わったこよやら。