富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十三日(木)睡眠不足続く日々。昼、城市花園は順寿司にて握り寿司。ジム。米国のテロは事件報道から正義と団結への流れへと。これにて更にグローバル化という名の一元主義が普及するのかと思えばテレビも新聞も目にする気になれず。布殊大統領CNNのLIVEにてインタビューを受けるが記者の質問に答える様、言及に拙き点危なっかしい点顕著にて、これにて大丈夫か、と我が命預けし領袖にふと心配。かつてのケネティ対ニクソンがdebeteせし時代なら党内予備選にてまず最初に落とされた程度の論理力。新聞では朝日にて島田雅彦氏の論評、インターネットでは月本裕氏のサイトを通じてのキツネ目宮崎学氏の言及に溜飲下る思い。島田氏のいう通り、アメリカの飛行機をハイジャックしてその飛行機じたいを兵器とすれば、理論上決して反撃を受けずに首都とNYに玉砕できる、というこんな簡単で最も成功率の高い手段、それをまざまざと見せられたのが今回のテロの極み。宮崎学氏にあってはサリン事件のカナリアの如く世に危険を報せしものなり。それにしてもここ数日、世の脳裏から消えないのは、世界貿易センターに突入する二機目の飛行機の描いた弧、もし曲線に黄金律のようなもの……仮に絶対放物線と云おう、があるのなら、なぜこの飛行機を操縦したその「悪魔」がこの弧を描けたのか、世界中が悲劇と思うなかでそれに歓喜していたパレスチナ難民地区の子どもたちの笑顔、ラディン氏のまるで聖者の様相にてあの瞳の透明感、この3つをどう説明すればいいのか、それが説明できぬ限り、この惨禍に遭遇し命をなくした被害者の悲劇は別にすれば、正義と団結に容易く同調できるものなり。築地のH君よりのメールに啄木の「われは知る、テロリストのかなしき心を……」あり、ふと読み返しここに載せる。

石川啄木呼子と口笛』より「ココアのひと匙」

われは知る、テロリストの
かなしき心を……
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を……
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。

1911.6.15 TOKYO

テロを讃美はせぬがテトリストはキチガイにあらずテロリストを何故そこまで悲しき選択に追い込んだのかの原因を考えることはそれがまさに人の道なり。