富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月三日(月)雨。黄色雲警報発令されけして豪雨とはいえぬが教育署は九月新入学日にて大事をとり所有学校今天停課の措置。ところで日本は学校を9月開校とすべし。北半球で日本と韓国が携帯電話同様、他と違うのである。他に追従すればいいというわけでないが、この時間差だけでかなり違う世界になっている。桜の花がどうとか古来春をもって……というのは論外、本来初春は正月にて旧正月あけの立春、源氏を読んでも桜の花見は楽しむがあの時期を一年の始まりにしてはおらぬ。しかも桜が4月に咲くのは東京主義、京の雅びすらなし、東北はまだ雪が残る。そもそも明治の学制では欧化で9月始業だったものが明治19年に徴兵令改訂で陸軍募集届け出が9月から4月となり陸軍に人材をとられないために学校始業も4月に変更。それじゃなぜ徴兵が4月かといえば同じ明治19年に会計年度が4月開始となったから。「要するに軍とお役人の都合 で4月に決められた」(佐藤秀夫氏)もの。それに桜などという価値観を付加してしまったにすぎぬ。よく学校で校長が「桜と一緒にまた新たな気持ちで」などというが、毎年新しい気持ちになっちまって過去を安易に精算してしまうから何も改革できず、ただ阿呆のようにへらへらしてしまうのである。歌舞伎町のルーズソックスは全く芸もないトーシローの娘がただ客と同席するだけで酒を次ぐでも話を盛り上げるでもなし普通のルーズな感じにてそれ故にスーパールーズと云う説ありしが、やはりルーズソックスにて女子高生の格好をしたホステス嬢が「ディスコタイム」等で大音響に暗めのイカした照明の下で客とご乱痴気でお騒ぎする店と判明。香港にても例えば銅鑼湾で日本人駐在員が闊歩する歓楽街でも例えばCircle Plazaならまだ火事でも逃げ出せそうだが「時代屋」が入っている街巷の雑居ビルなどかなり危険、その上もしもの有事とならば「飲むにしてもクラブNとかで昼間アマさんしてるフィリピン嬢相手に飲んでるとはセコイねぇ……」などと揶揄されるのがオチか。同じご乱痴気でも永井荷風が昭和二年に銀座のタイガで女給相手に遊んでいるとそれが文学となり平成の歌舞伎町や銅鑼湾にては単なるご乱痴気となるのはこれ如何に。夕方プールで泳ごうかと思ったが天気も悪くふと尖沙咀の日サロ。日サロで焼かなくても肌は焦げているがふとあの紫外線を浴びたくなる。10歳くらいまでだったかかなり皮膚弱く水泳しては日焼けが腫れ虫に刺されては化膿し漆どころか樹液で爛れと年中皮膚科、川崎さんという老医師の世話になっており、自宅兼の小さな医院で診断が終ると患部をいつも紫外線で殺菌治療が続いていた。暑い夏、ただ医院の中は薄暗く涼しく、蝉の声を聞きながらひとり紫外線を眺め、あの特有の臭いが医院の消毒液の臭いと混じっていた。日サロの紫外線はあんな臭くないのだけれど、ブースの中で青白くなっていると何故かあの頃のことを思い出し、まるで全身が消毒されるみたいな、2001年宇宙の旅のラストシーン間際に登場するモノリスのおかれたあの寝室にでもいるような、そういう感覚がいいのだ。百年ぶりに尖沙咀海防道街市の徳發にて牛南麺と油菜。雨も降り猛暑とはいえずもう喰えるかと思いきや一口喰えばだらりと汗、やっぱり熱いがでも美味い。美孚での薮用追え尖沙咀に戻り深夜にジム。