富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

5月1日(火)A君の主催するトレイルで西貢は北潭凹から九龍慈恩山まで走行する企画あったが睡眠浅く気圧が身体と合わず参加を断念、せめてもの鍛練と寶雲道に繰り出すが折からの雨、寶雲徑からKennedy道、英国総領事館に下るかなり異様な気の籠る「あそこ」を抜け(あの崩れかかった邸は何なのだ、一体……地図にも一切記載なし)香港公園を抜けジム、鍛練。ピークトラムに沿い梅道まで上り走って帰宅する頃には陽光。街にはゴールデンウィークで日本人、メーデー休暇で大陸人、いずれもかなり濃い観光客が市街を跋扈。上環より101路線にて観塘。『週刊香港』でもO嬢が取り上げていた雲南米線を供す物華街の雲南風味餐廰、麻辣鶏米線、雲南抄手、臭豆腐を食すがかなり美味あああああああいっ。Z嬢が夕方ふとこの味にフラッシュバックしてしまひ「今日はあんな美味しいものを食べられて幸せ」と呟くほど。味もいいが狭い店で客が静かでしかも全面禁煙が好い。亭主がまたこれが演劇くずれのような好い味を醸し出しオツ。かなり味には自信があるようでお勘定での笑顔も格別。でも店の帳場でサイトの更新しないように、それとメニューに「2001年3月更新」と書かないこと(笑)。百年ぶりの観塘、徘徊ってみるがかなり濃い街である。渣打銀行中心とかかなり「開発」も進んでいるし、工業大厦には日系メーカーなども多いのだが、街はまだまだ70年代モード、その粗野な市街を見下ろして月華街とか70年代製であろうかなり当時にしては高級なマンション群もあり面白い街だ。89X路線にて沙田、新城市廣場、あの雑踏にいきなり悪酔い。九龍巴士精品店にて九龍バスのかつての代表車種であるLeyland社製Victory II型の67分の1精巧模型を見るが予想以上にかなり精巧で鋼鉄の重量感といい塗装といい殊に細かい標示などmm以下での表記までなされHK$288だが思わず購う。かつて昭和40年代は精巧なミニチュアといえばドイツ製かスイス製でそれを天賞堂やキンタロウでながめ(当然、当時の小学生に買ってもらえる代物ではなかった)保育社だったかカラーブックスとかいうシリーズで『世界のミニカー』なんてコレクター本を眺め溜息ついていたが、この九龍バスの模型は中国製である、ここまでの技術とは目から鱗。香港文化博物館見学、今はなき区域市政局が市政局に対抗して作ってしまった「新界に大型博物館を作ること」だけが目的で今いち内容が絞り込めず、建物も大きいだけで醜悪さでは市政局の巨大な遺産(嗤)香港中央図書館と並んで遜色なし、中央図書館が不快なギリシア擬きなら文化博物館は巨大な中華箱。同志社のK君の御説通りかなり陳腐、粤劇室は江戸東京博物館的にかなり大がかりなセットを組み粤劇の小屋から芝居から楽屋裏までを再現し、そればかりかかつて珠江下流の都市をまわった紅船まで、見せてなんぼのビジュアルは天晴れ、しかし新界文物室など新界の部落や漁村、客家村、そして新界の都市開発に留めればいいものを香港歴史博物館とかなり同じ内容、樓上では中国文物だのチベット曼荼羅世界など香港文物博物館とはかなり懸離れた展示内容に疑問。アラン・チャンの商品などお土産物で売る必要などないから、香港住宅の変遷など香港文物館なら常設にしてももう少しきちんと再現すべき。98年にアジアの経済危機と香港の消費経済の冷え込みを先読みして香港でそれなりに評判良かったのに敢えて紳士的撤退をしていた無印良品、慎重な経営と賞されるより「あと半年我慢すれば」と嗤われ、香港のかなり濃い無印ファンは日本に請願書を送り、個人輸入で無印を扱いと涙ぐましい努力、日本ではユニクロなど競合も厳しく西友じたいが無印とは別にノーブランド製品を出す始末、無印は香港のような素晴らしい市場を捨てておけず出戻り、沙田の西田百貨に再出店、商売は盛況、入場制限する始末、開店から数日ですでに在庫も乏しい様、10分ほど並び入店し、銀座松屋のポリエステルの夏用レインコートは好きだが長けがあり香港ではかなり大雨でないと暑くで仕方なく丁度いい短いタケのポリエステルの裏メッシュの雨コート、クルーネックの天竺綿のTシャツなど購う。