富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月十九日(月)昨晩、夜半にふと渡辺保歌右衛門伝説』を読み始めたら、記号論構造主義にて歌舞伎を語る保君は文章が巧いから読み進めてしまいなかなか眠れず。本来は大旦那が逝去したら追悼で出版されるべき論を大成駒の老衰による引退で既に出版されたもの。銀幕のスターなら原節子のように半世紀も巷に出ずともスターとして映画が掛かれば活きているが、成駒屋は舞台一途の役者の悲しさ、舞台を下りればもはや人の記憶からも消えようとしている。歌右衛門といえば芝居好きだった我が母方の祖母にしてみれば、この女形の舞台はまるで新派の古典を見ているようで、どうもしっくりせず、どちらかといえば梅幸、ずっと「若手」だが友右衛門(現・雀ッキー)こそ女形だったのかも知れぬ、テレビで舞台中継を見るたびに歌右衛門の芝居に何かと口を挟んでいたのを思いだす。今になって保君の歌右衛門論を読み祖母の気持ちに合点、近代性と、フーコー的にいえば老いへの「まなざし」を覆す権力装置としての女形、か。それにしても昭和36年幸四郎(後の白鴎)一門による岡本太郎の美術による!「二人三番叟」は大失敗だろうが見てみたいもの。成田屋なるものが神仏に近い役者にて「江戸から離れることすら許されなかった」特異な名跡であると思えば、新之助君が日本国旅券を翳し旅券普及のポスターで睨むというのは如何なものか、と思う。それにしても歌右衛門を語らせたら第一人者として敢えて歌右衛門の政治性など闇を語る保君、日本の貧しい評論criticsにおいて希有の批評家である。批評家といえば内田魯庵山口昌男の『内田魯庵山脈<失われた日本人>発掘』(昌文社)が紀伊国屋より届く。この大著、『挫折の昭和史』『敗者の精神史』に続く歴史人類学、そろそろまとめ、ただ内田魯庵は山脈と云ってしまってはかなり意象的すぎはしないか「魯庵、雑木林下の水脈」でいいと思うのは拙者だけか。週間香港、マクルホース第3回にてKCRの巻綴る。