富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

1月25日(木)初二。曇。朝いっとき晴れしが晝より濃霧ひどく対岸の九龍どころか隣接のマンション、目下の街道すら見えぬ視界数m。出街せんと鍵見つからず、昨日、帰宅して鍵束を手扱った記憶もなく、動植物公園にてはベンチに坐りし時、鍵の感触は腰に残りしが、ふとジムまでの散歩がてら動植物公園を訪れるに、管理事務所は閉まり、守衛に尋ねても「無知了、没有辨法了」と冷たき応対、首を返し守衛番を後にすると守衛追いかけ参り余を呼び止め守衛ブースの抽斗より「これか」と余の鍵束を出したり。まさかと驚き深礼にて鍵を受け取るが、利是は手元になく失礼。鍵もさることながらポルシェデザインが皮製のキーホルダーは失うには惜しい物。正月恒例の花火、教師のM君がLansonの黒帯を携え来宅、三杯酒はPerroer Jouetの1988年を開けて花火見物が、午からの濃霧こそ少し薄れ九龍も辛うじて見え放つが雨雲低く垂れ込めるは変わらず花火は打ち上がれば湿気か高さも低く開花せど雲の中。新潟は今代司の越乃燦月、肴はカラスミとおでん、次いで写真家M君よりいただいた大分は老松酒造の評判の焼酎・麹屋傳兵衛、トレイル完徹の祝い品にて同じく完徹せしM君も飲む資格ありと楽しむ。まるでリキュールのような味わいに驚く。『朝日』の座標が「自民で勤まる国なのか−国民が逆襲する番だ」と一面で訴えし反自民、この反自民民主党から共産党は伸びず国民の期待は朝日が最も嫌う「石原的なもの」へと靡くだろうに。吉田秀和が20世紀のピアノとしてホロビッツの出現を画期的事件とし、このホロ爺を近親的憎悪したのがグールドで、それと同じ感情をグールドに「時々」もったのがリヒテルである、というはをかし。ホロビッツは「美しいの一言では片付けられない」わけで、グールドのゴルトベルグ変奏曲を聞いた後に「他の人のはいくら上手でより正しい弾き方だろうと変奏曲の変奏のように聞こえる」というこの評論はまさに20世紀そのものに言えなくはないか。