富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

1月16日(火)曇。朝は冷えてこの冬始めてお気に入りのBurberrysの秋物コートを出すが夕方は蒸すほど。中国政府が国家転覆を図る邪教の如く弾圧せし法輪功、日曜日に香港の大会堂にて集会を開き、香港政府は公共施設の使用を容認せば、尖沙咀の海防道に巨大な法輪功のネオン看板までお目見え、香港という中国で唯一、法輪功が弾圧されぬ場所で法輪功は活動を続けし。某中国在住の欧州人記者「巨大なカルトによる些細なカルトの弾圧」と言いしは言い得て笑いしが、法輪大法のサイトを見れば彼らは法輪功は単に「超常的な科学」であり「宇宙の最高特性に基づいている高いレベルの気功」と宣い、日本にてNGOの申請をせしが日本政府は法輪功に宗教性があるとNGOと認めず、法輪功は日本政府を非難す。彼らが主張は「佛法は仏教と違い」「仏教は佛法の一部ではありますが、宇宙の一部の奥義でしかありません」で「佛法は宗教ではないのです」と言いせしものの佛法≠仏教=宗教⊂佛法=宇宙の奥義、つまり彼らの佛法は宗教でないどころか宗教を超越、NGOの気功と言うのにもかなり無理はないか。灣仔影藝戯院にてBjork主演の Dancer in the Dark。前評判良く、今日の朝日でも沢木耕太郎の好評。泣かそうとする作品は嫌いである。一瞬、『穴』や『河』の蔡明亮や陳果のような淡々とした作品を期待したが、さにあらず、視力が衰え盲になっていくBjorkが遺伝性で同じ病に蝕まれることが解っている息子に開眼手術を受けさせようと死ぬような苦しみで貯えた金、それを盗まれたことで突発的にBjorkは隣人を殺害してしまい死刑宣告、その金を盗まれ奪い返し病院に前金と支払ったことを隠すBjorkだが、それが発覚し死刑は延期、再審の道が開けたものの、その前金が弁護士費用となったことでBjorkは再審手続の書類に署名せず死刑となる。罪は罪でも美しい心の女性が子どもへの愛情のため不条理な死を遂げる、と。この悲劇にBjorkを仕立てかなり前衛的にミュージカルにした点は評価するが、いかにマッカーシズム下の合州国でのチェコ移民の下層階級という設定でも、事実が発覚した段階以降の設定に余りに無理が目立ち、熱情的に彼女を助けようとする周囲の者たちが諦める様も死刑に立ち会う様も無理、当時の設定とはいえ救済の方法がないとは。これが金を盗んだ隣人までへの愛を貫き通すことで誰にも真実を告げぬまま死んでいくという単純さか、もしくは真実を発見できた者がいても社会的弱者でそれを告発できないというそういう設定(相手方が権力者であるとか)ならまだ理解できる、ここまでなら黙阿弥で歌舞伎になる脚本(ほん)だ、先日亡くなった宗十郎がいい、悠木千帆の頃の希木樹林でもいい芝居になろう、しかし真実を知ったカトリーヌ=ドヌーブルらはいくら貧しいとはいえ司法下では何ら弱者ではなく主人公を死刑から救うことが不可能となる筈はないし、本人には息子と自分が殺してしまった隣人の救済=自らの死であっても、第三者にはその二者選択は存在せず、死につきあう(絞首刑の現場に立ち会い死を見届ける!)必然性がないのに。つまりはBjorkをして聖女を見せるためにその映像のために造られた物語、その聖女は確かに美しいが、それで作品として評価してはいけない。Bjork、タイプは全く異るがマドンナと同じ聖女を演ず、か。松竹のサイトに並んだ芸能人、小説家たちの「泣けた」「感動」の陳腐な絶賛の嵐に唖然、私くらいこの映画、殊に脚本(ほん)を非難しようと約う。映画跳ね灣仔の卯佐木にて鮭の兜の肴に煮込みで熱燗。