富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

1月14日(日)Z嬢と鑽石山より96Rのバスで北潭涌、麥理浩徑の一段、二段を14km地点まで登るが朝から遅れ陽も西に傾き西湾を見ずして吹風凹に出、郊外バスにて西貢に戻る。黄昏、九龍城行きの小巴あり、九龍城は金蘭花泰國菜館、かなり評価の高き料理、付加価値なるものをつければ商売を大きくするなり実入を多くできるものを敢えて真っ当な価格で何ら飾り立てもせずに客に供しサービス料からチップまで一切祝儀を受け取らぬ哲学は見事、称賛。帰宅して柚子湯。文藝春秋より切り取り放ってあった芥川賞受賞作、町田町蔵の『きれぎれ』、松浦寿輝の『花腐し』を読む。『きれぎれ』は選考委員会にて石原慎太郎が無理強い、選評にて「そのスタイルは独特のビート、独特のリズムであり、その力強いビートに乗った一見乱脈で強引な言葉の行使はいわば言語のラップでありパンクロックであって、なれて見るとある種のドラッグのような陶酔感をあたえられる」と述べるがこの選評もかなり陳腐、『きれぎれ』が主人公の不愉快さだけしか理解できぬまま『花腐し』、都会の、新宿のバブル崩壊後の風景の描写はかなり巧いが作品としてはNHKのドラマ人間模様で主人公のクタニに「寅さん以前の」渥美清、相手役の伊関に小林薫、アスカに「エロスは甘く語りき」の頃の桃井かおりの配役で、日曜日の夜遅くぼんやり視る程度にはいい脚本になるが、芥川賞かと思うと疑問。河野多恵子の「両作品はネガティブが様相を書こうとしている」が「そういう作品が力強い、鮮烈な作品になり得るためには、作者はポジティブはものを扱う以上に、溌剌とした創造力に満ち溢れておらねばならず」「個性と趣味・嗜好との混同は禁物で、後者に執着していては作家は衰弱する」という酷評は正しい。村上龍が「わたしは受賞作の水準を故中上健次の『岬』に定めていた」というのは候補作に余りに酷だが、それを言う村上龍もよく言うよ全く、か。一葉日記中断してジョン=ネルソン『新版・三島由紀夫-ある評伝-』を読み始める。