富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

1月4日(木)快晴。年末年始モードも今日までとZ嬢とMTRにて東涌、30分待ちで新大嶼山バスに搭り大涌、ここまでで二時間を要してしまう。大涌から鳳凰徑の七段に入りランタオ島の西岸を歩き始め二澳の海岸、舊村が廃屋なばかりか新村も地図には住宅あれど廃屋と化し、根頭凹を越えて煎魚湾、300mほどの浜辺に人もいなければ静寂そのもの、お昼、響金凹を越えて分流、ここは清朝の時代に南支那海に出没する海賊見張りのための灯台の遺跡あり、大澳から電線が引いてありここは人家があると思えばこれも廃屋、ここはかなり絶好の岬にてAman Resortが出来てもおかしくないくらいのmode、もったいないのかこのまま自然にあるのがいいのか、辛うじてまだ人の住まう人家あり老婆と犬三匹、珠海の泥流の影響がないからかランタオ島の最西南端である分流角の岬から東湾となるとかなり海の透明度は増し分流東湾は紺碧の海、ここから山道となり犬嶺涌からは単調に引水路に沿って石壁まで全17kmほどを歩く。石壁よりバスにて東涌に戻り。夜、藪用あり佐敦にて久しぶりにAustin道は上海好好小食に行くが最近この店は繁盛も繁盛、流石に行列とまでは行かないが相席どころか満員、辛うじて待たずに坐れば目前の客が喰らう排骨菜飯(豚の肋肉をかなり甘辛に煮込み高菜系の薄塩味の青物を刻んで混ぜご飯にしてその排骨が混ぜご飯にのっている)がどうにも美味そうで食せばこれは絶妙。日経ギャラリーの原稿の件、M氏と電話にて打ちあわせ。銅鑼湾のそごうが新世界発展の鄭氏らによって買収され当面は営業は続けるが事実上そごうは名義だけで香港西武と同様、これで香港の日系百貨店は三越だけとなる。百貨店という形態じたいすでに遺物で生活に必須ではなく、そごうのA書店も小林よしのり本や『教科書が教えない日本の歴史』みたいな偏向本を「売れるから」か知らぬがデリカシーなく平積みするような本屋で、これまで陳列本で「あ、これ」と面白い本に巡り合ったことがなく生理的に嫌いなのでどうでもいいのだが。