1月3日(水)4月から朝日にて新聞の活字がまた20数%も大きくなるそうな。字の巨大化と内容の充実が反比例する新聞はもっとつまらなくなるわけか。晝前にZ嬢と香港大裏からHatton道を山頂まで上り山頂公園まで古道をのぼり公園にて日なたぼっこしながら橋本『源氏』蜻蛉、手習い、夢浮橋。三時で山頂餐廰にてカプチーノをいただきながらもまだ夢浮橋の巻。舊山頂道を下って帰宅、夢浮橋の巻読了してようやく橋本治『窯変源氏物語』全14巻、およそ7,000頁くらいか……を数ヶ月かけて読み終わる。長編では中山介山『大菩薩峠』は途中で断念しており山岡荘八は趣味でないので、おそらく自分の読書歴では『チボー家の人々』がこれまで一番の長編だったはず、で、それを抜いた、か。この『源氏』後半は三島『豊饒の海』の「天人五衰」のような、大きな物語の最後のほとんど虚無的なただ時間が流れているだけの世界、とても似ていると思った。とくに右大将(薫の君)と『豊饒の海』の本多の物語の最後はドラマチックな幕切れなどなく、ただフェイドアウトするように何も結論もなく。寧ろ呆気にとられるくらい。物語とは終わりなどなく時間は物語にかかわらず流れてていくというわけか。源氏(光の君)亡きあとの薫の君と匂宮との物語、いったいなんで光源氏というスーパースター不在で物語が続くのか不審しい気もしたが、薫の君のクールさと匂宮の陽性の恋愛感情、その二人それぞれでもアイデンティティは充分にあるのに、その強烈な二人の個性すら一人で共有してしまうくらい凄かったのが光源氏、というそういうことが証明したくて、雲隠の巻以降があるのか、と思う。雑煮など軽く食事をはさんで日経のエッセイ、巻頭から4本目まで試験的に綴る。快活谷の競馬も見る時間もなし、残念。実はこの晩、最終レースのClass-1にて98-99年季のダービー111倍にて二着馬のCommander Charlieが20倍の穴で一着だったことを翌日知る。橋本『源氏』の呪縛から解放され沼田元氣『ぼくの伯父さんの東京案内』読み始める。最近は『東京人』で常連のヌマ伯父さん、この本もそのノリ、沼田元氣といえば私が恵比寿に住んで広尾で勤めていた当時、その会社で同僚だったT氏、彼が沼田氏の友だちで、恵比寿の現ガーデンヒルズ近隣の長屋に住んでいた沼田氏が会社にT氏を尋ねてきて、よく世間話をしていたが、ふとT氏を思いだす。T氏とは新宿南口の日本晴のカウンタで飲み始め財布に余裕があれば向かいの五十鈴、腹が減れば台湾飯店、でもだいたいは麦とろに行って焼酎だった、か、酔った勢いで高円寺、すでに数百円しか持ちあわせなくテーブルに持ち金の硬貨を積んでそこから酒代を引いて未明まで飲んでいたことを思いだす。