富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

橋本治と伽羅先代萩

辰年三月晦日。気温摂氏16.0/20.9度。雨模様のなか家人と横浜桜木町。大型連休も明けたのを見計らひ神奈川近代文学館へ。四年前に帰国してこちらで最初に見たいと思つたのは2021年秋の樋口一葉展だつたが実際に訪れたのは2年前の春の吉田健一展と立て続けに初夏のドナルド=キーン展だつた。昨春に小津安二郎展あり1年ぶり。天候不順。桜木町駅でタイミング悪く20分以上待つて(横浜は強風で最大19.2mの風)横浜市営バス20系統で港の見える丘公園に上がる。神奈川県近代文学館。

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橋本治といふイラストレーターがゐることは知つてゐたが何といつても『桃尻娘』のシリーズを同世代的に読んでゐた世代なので橋本治桃尻娘なのであつた。それがそのあとに「セーターを編む橋本治」といふ時代があつて『窯変源氏物語』があつて(これこそアタシが現代語訳でも通しで最初に読んだ『源氏』であつた)当時定期購読してゐた『芸術新潮』の「ひらがな日本美術史」も大変面白く読ませてもらつてゐたが治ちゃんは2019年に逝去。

東大の学生時代にイラストレーターとしての活躍が始まり『桃尻娘』で作家となり独創的なセーターを編んだ日々。学生時代からの歌舞伎への愛、歌右衛門の舞台への執着。小説の原稿は手書きの原稿用紙の圧倒的な何千枚といふ量だけでも圧巻。この神奈川の近代文学館が橋本治のコレクションをこれだけ蒐集した実績だけでも何といふ業績か。東京生まれの東京育ちの治ちゃんと横浜の関係といへば『桃尻娘』で登場人物たちがこのあたりでデートするだけでしかないのに。2時間ちかくたつぷりと展覧をじっくりと見る。


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港の見える丘公園の英国ガーデンはステキにバラが咲いてゐた。まだこれでも四分咲きくらゐなのかしら。薔薇の花の芳香に酔ふほど。昨日までが大型連休で連休明けの本日は天候も不順でガーデン参観の客も少ない。アタシたちだつて大型連休は繁忙期でJRも大人の休日で割り引きもないので繁忙期明けの本日かうして出かけてきたのだが。

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近代文学館を参観のあと幸はひに雨も歇んでくれて元町まで坂を下ると飲食店もそれなりにあるのだがいつもこの店でお昼となる。

Burger JO's - 元町 | 食べログ

普段はハンバーガーなど好んで食べないのだが元町のこちらはなぜか食べたいと思ふ。あっさりとしてゐて胃ももたれることもない。元町の横浜でも中途半端な遠さ。こちらに向かふときはまだ楽しいが復路は面白くない。殺風景なみなとみらい線の元町中華街から地下鉄に乗るか石川町まで歩いて根岸線か。後者を選び京浜東北線直通が来て幸はひに坐れたこともあり横浜駅東海道線に乗換へもせず午睡であつといふ間に田町手前で目覚めて有楽町へ。家人と一旦別れ千疋屋。連日黄昏のハイボールでレモンをピールだけ使ふのだが国産レモンは秋から初夏まで、でそろ/\なくなる時期に千疋屋ならどんなレモンを置いてゐるのか、と気になつた次第。だが千疋屋の店頭には高級マンゴーや柑橘類(美生柑だつたか)はあつてもレモンやバナナなど見当たらず。雨のなか電車通りを渡り徠卡の銀座店。M6のカメラの露出計の電気部分がイカれたので修理についてお尋ね。すると獨逸の本社に送ることになるのだがフィルムカメラについては修理など対応にかなり日数要して現在だと13ヶ月でオーバーホール含め電気部分の修理で送料込みで18万円ほどかゝるとのこと。要検討。かなり久々に数寄屋橋のサンボア。まだ少し時間があつたので銀座のサンボアにハシゴ。それぞれハイボールを一杯ずつ。観世能楽堂でチラシをピックアップして歌舞伎座

家人と落ち合ひ夜の部で〈伽羅先代萩〉幕見。菊之助の政岡。八汐に歌六。栄御前は雀右衛門。子役は千松が丑之助で鶴千代丸が種之助。この二人は「まるで他人」のやうだが祖父がそれ/\吉右衛門Ⅱと又五郎Ⅲで、その曽祖父が歌六Ⅲに当たる。
歌六Ⅲー吉右衛門Ⅰー娘(正子)ー吉右衛門Ⅱー娘(瓔子)ー丑之助
   ー時蔵Ⅲ  ー歌昇Ⅱ  ー又五郎Ⅲ   ー歌昇Ⅳ  ー種太郎 
この〈先代萩〉で「御殿」のあと、とつてつけたやうな「床下」で仁木弾正は成田屋成田屋はこの弾正は最高に好きなお役でせうね。大型連休明けとはいへ一階席も二、三列目でも空席あり三階席はかなり空席目立ち西扉は客なし。幕見席だけは7割方ガイジンの旅行者で満席。実はアタシは〈先代萩〉は初見。今までなぜか観劇のタイミング合はず。それでも昭和58年の歌舞伎座での歌右衛門が政岡の伝説的な〈千代萩〉だけは何度も映像で見てゐるはゐる。このとき(昭和58年)は歌右衛門の政岡に勘三郎XVIIの八汐、延若Ⅲの栄御前で弾正が松緑Ⅱといふ、その配役を聞いただけでも鳥肌の立つやうな舞台。

【歌舞伎】 伽羅先代萩(1983 中村歌右卫门名演)_bilibili

本日の菊之助の政岡はまことに写実的。とてもリアルな芝居なのだが、それで良いはずなのだが、それを超越する政岡がアタシたちの記憶にある。大成駒のその(昭和58年5月)政岡が印象に強烈で、あれはもはやシュールレアリズムで「飯炊き」の場からすべてが現実からの乖離が想像以上なのだが、あれが政岡の名演と据ゑられてしまふと、もはや他の政岡は「物足りない」と思へてしまふ……その感覚ぢたいが倒錯なのだけれど。丑之助君は相変はらず役柄以上の過剰とも思へる表現。今回の舞台も八汐役で歌六が出色。「御殿」の後半、飯炊きは竹本が葵大夫さんでじっくりと聞かせどころたっぷり。舞台の芝居よりも葵さんの義太夫で、ぐっと心に迫るものあり。それで満足。だが舞台は「御殿」の最後で政岡が八汐を斬つて倅・千松の仇を果たしたところでフィナーレのはずが、そのあとの「床下」の始まりで幕見のガイジンさんたちも展開がよくわからない。弾正の登場で次の幕か?と思つたら弾正はお見得だけで花道に現れ去つてゆくのだから、そこでお終ひは「???」だらう。その後の展開は通しでもないとわからない。昭和63年12月に国立劇場で〈先代萩〉の通しがあつたのだが、その年末から翌年正月(平成)にかけアタシは豪州のパースに滞在してゐたので、この先代萩の通しを見逃してゐる。歌右衛門の政岡に、権十郎Ⅲの八汐、芝翫の栄御前で弾正が吉右衛門Ⅱである。ところで幕見は楽しいもので大向かふが弾正の登場に「成田や!」と掛け声をかけてゐたらイタリア人だらうか、幕見席から大向かふを真似して“No Return!”と。捲舌音で声を詰めた「なりたや!」が“No Return!”に聞こえたのだらう。もはや空耳アワーだが、芝居が終はつて階段を下りながら家人と、それを真似したら確かに“No Return!”が「なりたや!」に聞こえて笑つてしまつた。“No Return!”ははたしてどんな意味だつたのかしら。死んだ千松の命を惜しむのか、悪役であることがわかつた弾正への“No Return!”なのか。まさか歌舞伎なんてもう二度と見るまい、の“No Return!”ではない。
いつも銀座で、となると帰りの特急に乗る前に銀座ライオンなのだが本日は家人の提案でコリドー街にある、こちらへ。

廻転とやま鮨 銀座

一寸高級な回転寿司店なのだが時節柄お皿は回転しておらずタッチパネルの注文。生牡蠣、生烏賊の刺身を魚に酒(立山)を飲んでお寿司を随分といたゞき7千円余で大変満足。