癸卯年十二月十九日。気温摂氏▲2.1/11.4度。晴。家人と千葉の佐倉に彼女の父を訪ねる。
素人の趣味の域としてはまことにきちんと彫られた仏像はいつも眺めてゐて飽きない。形見分けにくださいとは口に出せない。高齢者の今どきの居住空間はオール電化にしても線香や蝋燭すら火を灯せない。それを久ヶ原の茶人T君にいつたら茶道だと香炉が名器ならば火種を入れず灰だけきれいに押して香木を置くだけにもするさう。香炉ぢたいは大したものぢゃないが先日、銀座の松榮堂で白檀の香木と灰(みやこ灰)を買ひ求め、これを本日持参。灰といふのも小さな香炉に入れて押してみると、これでもかといふくらゐの量が凝縮するもの。さうすると本当にきれい。
堀田様の佐倉のご城下の古い街並み。市役所に出向いたついでに佐倉郵便局で「ポストはがき」に風景印を押してもらふ。最近の佐倉往復は往路は高速道路で常磐道→圏央道→東関道だが復路は潮来まで東関道で利根川を渡り北浦の東岸を鉾田に北上して水府に戻る。西陽の北浦はまことに風情あり。
ユダヤ人がホロコーストといふ20世紀の事実を今もまだ重大な歴史に悲劇として記憶することはその通りだが、だからといつてそれからパレスチナへの弾圧が肯定されるのはおかしい。かといつてイスラエルで若者が現政権やパレスチナへの「報復」支持するのは理解できないものゝ日本でこんなに自民党政治がダメでも自民や維新が結局のところ支持されること、米国でのトランプ支持層の存在など問題は同根。結局のところ人類の「進化」による調和どころか思考停止の現実そのもの。ところでイスラエルは自動車が左側通行つまり英国の流儀。これはおそらく1916年の英仏露三カ国によるサイクス=ピコ秘密協定でパレスチナの地は国際管理地域とはされたものゝ実質的にイラクから西にヨルダンにかけてが英国勢力領域で、その西にあるパレスチナも当時は英国影響下にあつたわけで、それが自動車の左側通行につながつてゐるのだらう。
昭和49年に三菱重工本社がなぜ爆破されたのか、なぜその標的になつたのか、は当時、若いアタシにとつてもとても新鮮な出来事だつた。霞ヶ関の官庁街でもなければ、国会議事堂でも皇居でもなく一企業に爆弾が投じられたこと。この事件があつて軍需産業の実態が露はになつた。この「桐島聡」の印象的な笑顔の写真は半世紀の間ずつと派出所や駅のポスターにあつたのだけれど、それは当時は彼が続けて爆破テロをしかけてくる危険性があつたからで、だが半世紀も過ぎて彼がさうしたテロ実行の可能性は殆ど無くなつてゐたはずで、もはや駅前では白ポストと同様に何のためにそこにあるのか誰もわからなからないが撤去されないものだつた。テロと戦ふ警察権力は桐島聡の逮捕を止めるわけにはいかない。それにしても彼は三菱重工爆破の直接の犯人ではなく東アジア反日武装戦線のメンバーであつて、では彼が銀座あつた韓国経済産業研究所とはどんな組織だつたのか、さうしたこともきちんと今更ながら報じられるべきだが、それに対してテレビのバラエティで立川志らくが指摘するはずもない。