富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

新春浅草歌舞伎 et 歌舞伎座で右近〈道成寺〉

癸卯年十二月初五。気温摂氏▲2.3/10.5度。快晴。浅草公会堂。若手による新春浅草歌舞伎も見るのは何年ぶりかしら。木挽町よりもずつと大作が並びこちらのほうが正月歌舞伎らしい。もう今の若手になると誰がどの家で誰の倅なのかもきちんとチェックしておかないとわからない。

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第1部。家人が来ないことになり2階最前列中央の席で勿体ないので荏原のN先生お招き。N先生は宝生流で謡ひの稽古をされてゐて十二月に千駄ヶ谷で東京囃子科(定式能)で邂逅してゐた。〈十種香〉は米吉の八重垣姫。とにかくこの美しさで良いのだらうが濡衣役の新吾が上手い。父親が彌十郎で役者の筋がきちんとしてゐるのか。続く〈源氏店〉は隼人の切られ与三で米吉がお富。隼人はまだ悪人らしさもなく米吉もまだこの情の深い役にはそりゃ若い。歌六(米吉の父だ)の多左衛門がまことに安定。

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〈どんつく〉はさすが大和屋(巳之助)の踊りが巧妙。三津五郎を思はず彷彿させられる。かうなるとできれば第2部で歌昇の〈陣屋〉これの歌六の弥陀六も、松也の宗五郎も見てみたかつた。

村上湛(評)浅草公会堂「新春浅草歌舞伎」 古典再生させる若手らの気概:朝日新聞

散髪で神田淡路町へ。銀座線の神田駅で須田町に向かふ地下道がとても所謂“so cool”で好き。そこから一八通りに出て寒天の福尾商店で豆かんを頬張るつもりが月曜休で残念。

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散髪のあと夕方の丁度良い時間で神田まつやに向かふとこちらも14日から17日までだか臨時連休。神田藪蕎麦へ。この「新店舗」は初めてで火事全焼のあとの新築がこれ。調べてみると火事が2013年なので神田藪は10数年ぶりといふことになる。酒は菊正宗(特撰)。ぬり味噌。天たね。これで満足のはずだつたが天たねが厚みがあるのは立派だが中がグラタンのやうに生で火が通つてゐない。うどん粉のまゝ。出し直してもらふが揚げ方も一緒なのだらう、また中身が生で箸をつけられず。クロレラ入り?のせいろも美味しいと思へず少なからず残す。残念。


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地下鉄で淡路町から銀座へ。松榮堂に寄るのに電車通り歩いてゐたら交差点(西銀座六丁目)で対向車線越え省線の方に右折しとうとしたタクシーが曲がりきれず信号が変はる前の右折あきらめ後進しようとして後方不注意で交詢社通り側から電車通り横断し始めた歩行者を轢きさうになる。アタシもそのあと三原橋で無理やり細い横道に入つてきたタクシーにぶるかりさうになつた。運転手は謝るでもなくふてぶてしい表情。なんてマナーの悪さなのか、呆れるばかり。

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銀座サンボアでハイボール二杯。

1500勝までは、ひどい碁も打つんだけど、そんなにみっともないと思わなかったんだけど1500から1600の間は、すごく自分の碁がみっともないし、やめた方がいいかなという思いはいつもあったですね。ただ、自分が今までずっと碁を打ってきて、それこそ喜びも悲しみも、碁とともにやってきたわけだから、その悲しみの部分がなくなっちゃうと、なんかつまんなくなっちゃう。そんな気がしてね。対局する緊張感がなくなったらもうダメかなと思う。あした対局だというと、ずっともやもやして、そういうのがとてもつらいんだけども、それがなくなっちゃったら、やめる時かなと思うんです。(趙治勲

なんだかやはりお腹が空いてハゲ天の出店で天丼頬張る。鳩居堂に寄り歌舞伎座。夜の部の最後で尾上右近の〈道成寺〉幕見。昨日までは壱太郎かずたろうで(これはNHK初芝居中継を見た)本日が右近の初日。浅草で米吉の八重垣姫は美しかつたが右近の京拍子花子はかなり難しいことだが六代目(曽祖父である)のそれを意識するやうな、これから舞踊としてどう道成寺に取り組んでゆくのか、の意欲を十分に感じるものだつた。もちろん今日が初日で、それに鞨鼓かっこ(でいいのかしら?あれ)打ちながらの踊りなど少しばらけてもゐた。だがスケールのあることでは音羽屋として今後が面白いのではないかしら。菊之助と今後何う音羽屋を構築してゆくのかが楽しみ。

こゝ数日の体調不良は昨日未明の38度の発熱と大汗のあと昼間もかなり調子も良くコロナも流感も陰性。それで本日はかうして遊んでゐたが帰宅してお香を焚くと匂いが全く感じられない。浅草での〈十種香〉の芝居でも香の芳しさがわかり〈源氏店〉では舞台でキセル煙草も煙が漂ひ(今ではあの程度の煙に咽せいでゐた客少なからず)松榮堂でも鳩居堂でもお香を嗅いで判別もできたのだが。味覚は帰りの電車で飲んだカップ酒も柿の種もパイン飴もきちんと味がわかる。味覚はあつて嗅覚だけがおかしくなつてしまつた。発熱も風邪の諸症状もないのに。