富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

大槻文蔵〈胡蝶〉を拝見できた機会

癸卯年十一月初八。気温摂氏2.5/12.5度。晴。昼前に何となく秋葉原から神田須田町に出たら神田まつやの前は行列。タクシーから降りる客が数組もゐて、これぢゃ蕎麦どころぢゃない。神田錦町の更科へ。こちらは数分で入ることができた。今日は午後はお能お能の前は酒はいたゞかないやうにしてゐるのだけれど熱燗を一本つけてもらふ。こちら(錦町更科)はしょうが天蕎麦が評判。生姜天を肴に燗酒であごから滴る汗をかき蕎麦で〆る。いつもありがとうございます、といはれた。老人が昼酒なんてしてゐると常連とまではいはないが一見客には見えなかつたのかしら。

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半蔵門線で表参道。銕仙会能楽研修所。毎年歳末恒例となつたが村上湛君にお誘ひいたゞき明星大学(日本文化学科)の学生を対象にした能楽鑑賞会で末席を汚す。大槻文蔵師で昨年の〈三輪〉名演の記憶がまだ鮮やか。今年の胡蝶はあらすじで読むと本当に単調な話で感動は何処にと思ふところだが湛先生の事前講義を聴くと、この物語の面白さがどこにあるか?まことに明確に説かれてゐる。殊に当時の生死観、京都の状況、蝶が何を表してゐるのか。仏説で日本の法華経の教へ、それの原理にまで言及あり。また梅と桜から寵童の感覚まで50分ほどの講義はあつといふ間でもはや語りの芸術の域である。それも原稿の通りではなく話が始まり、こちらへ、そこれならあちらへと自由なる、まさに蝶が飛ぶやうに。

そして大槻文蔵師シテの〈胡蝶〉はまさに早春の梅の花に縁なき身を嘆く蝶の悲しさ、願ひ叶ひ梅と出会ふ喜び=そのあとにはまだ寒々しい早春で胡蝶を待つのは死でしかない。だが御仏に何うか救済されるのか。さうしたさま/\な感情を文蔵師が見事に身体と詞で表現する絶品の舞台。囃子方は皷の大小は成田奏君の抜擢と亀井広忠(この大学能のまた亀井忠雄先生の予定であつたさう)。笛は松田先生で太鼓は林雄一郎といふアタシの好み。本日は物着の小書で舞台上でシテ中入りのところ間狂言ではなく松田先生の笛なのだから格別。地謡も谷本健吾さんらじつにしつかり。そして何よりも明星大学の学生さん(人文学部日本文学科2年生なのかしら)がそりゃ能は初めて、なかには興味もピンとこない方もゐるだらうに、それでもしっかりと、そして睡魔に襲はれた男子学生もまるでワキ方のやうに片膝を立て姿勢よく暫し寝入るところまでw、携帯電話が鳴つたり咳やくしゃみの音まで賑やかな下手な能の公演より余程大したもの。本日の、これほどの絶品の能の舞台を人生に一度きりかもしれないが学生でこれを拝めるなんてどれだけ幸せなことかしら。

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青山通りを渋谷まで歩く。本日の公演を本当に「運良く」であるが拝見する機会に恵まれた面々で村上湛君を囲み会食(天厨菜館)。お酒も進み歓談笑話。本日は能のあと軽く飲んで帰宅のつもりで遅くない時間で常磐線特急を早割で押さえてしまつてゐたので食事の途中で、おそらく炒飯とデザートの前にお先に場を辞す失礼。渋谷駅に向かひ路地から宮益坂に出て右折で坂を下つたつもりが歩いてゐてもなか/\渋谷駅のガードが見えない。道路の左側には何だか見たことのない壁のやうに続く高層ビル。気づいたら明治通りに出てしまつて右折して神宮前の方に歩いてゐたとは。渋谷駅方向と勘違ひするほどの人出が神宮前の方に歩いてゐるのだ(気が早く明治神宮に初詣か?)。壁のやうに続く高層ビルは宮下公園の再開発であつた。昭和の終はり頃このあたり(渋谷駅前の宮益坂明治通りの交差点)といへばキティレコードがあつて(小林ビル)夜でも方角を間違へるなんてなかつたはずが。渋谷の再開発での景色の変貌とり自分の加齢でのボケだらう。

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家人が水戸駅まで迎へに来てくれて帰宅して神保町のさゝまで購めた生菓子で一服。手前が木枯らし、奥が冬こもり